2013年8月15日木曜日

中央市与一公祭りの花火

 
 
 昨夏は義父も一緒に庭で見た花火。義母がグラウンドまで行きたいというので、ゆっくりと連れ合いが手を引きながら歩いていきます。車で来られる方々も多く駐車場も取れそうもないし、かえって面倒だからといい、歩けるでしょう。本人が行きたいと言ったので頑張っています。この体育会系母息子。ぶらぶらと後ろからついて行って、なぜか立ち見ではなく椅子を譲ってもらえました。
花火の前の踊りと歌謡大会はパス。夕食を終えてのんびりと見れたのです。夕食時にはテレビのニュースからだったでしょうか、義母と敗戦の年の8月14日と15日の大違いを話してもらいます。14日は、敗けるなんてこれっぽっちしも思っちゃいなかったんだから、それが一日明けりゃあんなことに。。その食卓のある台所は通りに面していて普段から通行は多いのですが祭り会場に向かう車がエンジン音を響かせています。お義母さん爆撃機が頭の上を飛ぶ音って知っているの。もちろん。あんなもんじゃないと手振りで外をさします。
 そう私たちの国は、今ではよその国の軍隊の爆撃機が国民の頭の上を飛んでいる国。
それはまた脳裏のどこかに置きながら、復興支援だ東北応援だという花火も上がる夜空。魂や、鎮まれ。この花火に乗せて。義母を支え家に戻りました。我が家はお墓の都合で初盆が来年に延びています。
 明けて15日。やはり早朝畑に出かけたくなってしまいます。面白い。ここまで突っつかれて、同じ生き物としてこの大豆たちがどうなるのか。しっかりと見届けたい。花火を見ながら思ったのは、自分の親と花火なぞ、打ち上げ花火なぞは観た事もない、たった一人の兄妹だった兄とも観た事もないのに、今この土地で、これからも、ここを住処として夏をすごし冬を迎え、春が巡りくる暮らしなのだと、さて秋の実りがあるのか。烏の濡れ羽色じゃなく烏の濡れ衣?畑の前の坂道を毎朝散歩やジョギングする人たちとも、この二か月で顔なじみです。却ってその人たちがショックだったでしょう。と畑の様子を慰めてくれるのです。カラスじゃなく鹿の害かもしれないよと。!ええ、でも売るわけじゃないし、一年目だから。でもショックでしょう。ええ。ショックです。
 義母たち、私の親達世代が生きのびてきた、この国。どう立ち向かってきたのだろう、その一日での落差に。人はどれだけのことを抱えて生きていくのだろう。私は母の骨箱をまだ抱えていくのだろう。それもカラス大先生にはアホーと。魂や~。
 
 
 


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