2013年6月5日水曜日

マハラバ挽歌

こうちゃん。お父さん。佐和子ちゃん。りゅうちゃん。お母ちゃん。よっちゃん。

 マハラバ文庫を創ってきた人々。横田弘の訃報に触れる。そう健全者である大仏の家。閑居山のことでは無い。障害者運動は障害者である者自身のもの。
 だから、大仏の家(そんなものなんぞあるのか)なんて、青い芝の外。隣の青い芝。
ああ、りゑさん。正義さん。まっちゃん。冨美ちゃん。それでも私の揺籃。母の胸に抱かれるように。よっちゃんとの時間。ああぁ、れあちゃ~ん。そう、懐かしく、絞り出す声。それは、母への供養を受け取ったお礼の電話。母への供養は、東日本大震災後の重度脳性まひ者への支援をしている福島青い芝へ送ったという連絡でした。そして今の障害者は、その運動を知らないと嘆いて。
 そう、父の葬儀で行動綱領を経の替わりに唱えてくれた。その声を聴く私を、他人はまったく違った言葉でとらえ流布したきていたのです。何故、私のことを私に尋ねない。兄を、母を代弁者として私を語っているのかと。
 それでも、どうしてあの言葉がレアちゃん解るの。と千代田のおばさんたちは聞いたのです。よっちゃんの声。留守番だった私とよっちゃん。町に行ける歩行障害者。男の子であった兄。
 歩けないとされたよっちゃん。幼い、連れ歩けない私。何を話していたのか、もう50年も前の事。ああ、雷さん。私の身体で聞き取るマハラバの声。母の葬儀の時も私の子供たちからも、良く、たかしお兄ちゃんの言ってることわかるね。と言われて、初めて分かったのです。ともに育つという事の大切さ。

 マハラバ挽歌 2013年キャンドルナイト

電気の無かった山の中での生活は
暗くなる頃、家中のランプを集めて火屋磨き
芯の具合を調整し、残り油を確かめて
灯をともしての、夜語り

灯りのもとに集いがあって
話すことも、伝えなければならないことも
熟考し、相手の顔をみつめつつ
もっと、その先に、未来を語る時でした

無明の中に、この夜が
必ず未来を創ってる、気づかぬうちに
みんなが信じてました、本を読むのも貴重な灯

六月は、どれか一冊沖縄の本を読むのと
教えられ、ガマの中での夜を知りました
私達は無明に生きている
そして優しくなれる灯をともすのです


 きなり歳時記2007-2008  夏至より

私達は無明の中に生きている
そして優しくなれる灯をともすのです

 
 南無阿弥陀仏




0 件のコメント: