2013年6月9日日曜日

芝の上に

 
40年を経て
 
 
 本日の告別式の喪主に、あなたたち三人が入ったベビーバスを私がまだ持っているのと言うと。引き取ります。と。幾度我が家では、捨てろと言われたのでしょう。ガスも電気もない、閑居山に三人の赤ちゃんが次々と生まれ、文庫番の両親が沸かしたお湯を入れて。そう私達兄妹は、ブリキの盥だったはず。
 脳性まひ者同士の新婚さんたちから、当然赤ちゃんが生まれてくる。その期待に父が買ってきたプラスティックのベビーバス。その子たちは、山の中から町に移り、私の子供たちの時も使ったけれど、そんな一時が過ぎれば、用もなくただただ場所塞ぎでも捨てることのできなかったこのベビーバス。
 
 本日の葬儀は、何のために健全者は生まれてきているのか、そのことを考えた時間でした。
少し慌ただしい出発。連絡不充分だった私のところでは、昨夜、やはり参列したいと甲府駅に送ってもらう事にして、今朝は我が家事情もあって、もう弔電も読まれていて最後のお焼香。
 自宅に戻ったよっちゃんによっこちゃんが良い人生だったね。と話しかけたと覚君の喪主の挨拶。そう良い人生だった。
 そして私も長い年月が解決していくことをまた、今日も受け止めているのです。
 障害者とともに暮らす健全者は何を主張できるのか。私たちの側からそれを言うのはまだ早い。母が私をとめてきて、その深さ。でもこの子たちが生まれてきている意味を書きたいと日吉にいた覚君を訪ねて以来でしたが、亡くなる前によっちゃんが、今の障害者は自分たちの運動を学んでいないと嘆いていいたのを思い、恥ずかしいくらい障害者を障碍者と書き換えさらに障がい者だなんて、書きかえれば問題が解決できるような、健全者も、健常者だなんて。
 それは、また何かの言葉の操りになっていくのに。本質は、そのあいだ。にあるのです。
そして、今、東日本大震災以降、若い世代が、結婚できない、赤ちゃんが産めないと、そう考えるなら、自分自身の生きてきている事の否定に向かうじゃないかと。解決すべきなのは、何故健全者優位の思想しか持てないのか。そこをひっくり返し、健全者は、障害者に支えられ、生存をみとめられて社会を構成している、歴史とはそうなのだと。見直すこと。
お金に結びつく生産から新しい社会を考えては何も前に進まない。そこに優劣をつけて行く、選別の仕組みが必ず発生するから。だらしなくって、いい加減で、ルーズで気が付いたら新しいいのちが生み出される。ベビーバスの下は、母の庭にあった芝生。

そのあいだ

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