2012年1月29日日曜日

夕陽


 空港で、娘の友人夫妻を見送りました。三泊四日、この数日異世代の他国の者の目と考えに自分が染まっていた事がわかります。日常とは違う目線を持ち、思考を部分的に体験するというのが、来客の時間の意味なのだと、あわただしかった数日を想います。きっと同じ国内で同世代の人が来たのであれば、来客による非日常の客体化は無かったと思います。
 定例の会議は無かったのですが、打ち合わせや、多少用事があったり、まずそれ以前に義父母の生活を普段通りにして、そこに来てもらうという状況で、はたしてやりきれるのかと思っていましたが、私以外の歳経た人も、若い世代も柔軟に生きているのだということが解りました。
 それこそ、ちゃんぽんな米語と日本語とタイワニーズが行き交いながら、物事が進んでいきます。
ITは共通です。そして食べるという事、楽しむ事、眠るという事。皆共通なのだから、なんとかなるものです。こういう中で絶対に自分の在り方を変えない義父は「オ、ジイチャアーン」なんだか海軍時代の同輩に居た高雄の人の話になりそうでしたが、たまたま長岡の叔母さんからの電話があって話がそれたのに、母娘でほっとしたのが可笑しい。さて見送られてダラスへと帰る彼ら、また行く日も来るかと、この娘たちの時代にも、アジアの姿はどのような連帯ができるのか。そういえば、昨日今日は、別な旅の計画があったけれど中止だったのかと見送ってやっと思いました。

0 件のコメント: