2012年1月9日月曜日

講というもの




 年末年始は、文庫番には怒涛の様に過ぎて行きました。半月の間に茨城に二回、山梨に三回日帰りで行きながら、墨田での正月用意をする台所番。初詣は、住んでいるところの白髭神社へ。まず次女と私ですませ、年番を引き受けることになった連れ合いと、長女夫婦と。そして、三が日のうちに、義母の育った佃の住吉神社へ車いすでの参拝でした。
 何も追いつかないと、2012年ははじまり、まだ、昨年の遣り残しも背負いながら、松を外すのです。
 昨日は、山梨の中央市の庭の掃除。行きの首都高速道路からは、富士山も雪を被ったまさに秀峰の姿を、普段と違った趣で見せていました。山塊によって気流が変わってと話しながら、人間の生活圏のものは山で遮られるからこそ、山の意味があるのだと、知っていながら視覚として解るのです。
 山を、尊ぶ由縁。人の力の及ばないものが、地形としてもあるのだと、この世紀であるからこそ考えなければならないのです。兄は、またあの山中に戻ったのかと、茨城では母と話しています。何もないのではなく、そこにすべてがあると。
 人間界のものは人間の中に戻る。これからの地域での暮らしを想うと、できる限り地域の中での経済循環を取り戻したいものです。山梨の方では町内は「組」に入るのです。こちらへ、現在の住まいの方で引き受けた役割から徐々に、基盤を整えながら、委譲し移行していく事になるのでしょう。
 小さいコミュニティでの講。12月に二か所であった講演の際に考えていた、経済の循環と世直しは、諸説ある幕末のええじゃないかとお伊勢講を考え、やはり手元に自治としての金銭を持つ活力を取り戻していく事なのだろうと、考えるのです。それは、信仰という生きるすべのもう一つの表現でしょう。海の講、山の講。

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