2011年3月26日土曜日

同時多発的状況なのか

 一夫婦にそれぞれの両親が居れば、ましてや、一人二人の兄弟しかいない世代同士が夫婦となっていれば、双方の親の高齢期というのは同時にやってくるものです。
 そして、親の姉妹兄弟は、まだ大人数だったと言う事は、おじ、おばなどもやはりほぼ同様に年をとって来ているのですね。この一週間は義母の入院にともなう諸々で、自分も含めたいろいろな人の年の取り方を考えています。その事が、避難所に映し出されるお年寄達の状況とも重なってしまって、振り払えません。
 おじいちゃんは、寂しそうです。5日間に長岡から二往復で出てきていた義母の妹にも、結構我がままを言います。いきなり、嫁である文庫番には、言いづらい事も長い付き合いであるこの人には言えるのでしょうけれど、義叔母さんも結構ぐったりと帰って行きました。
 マスクをして、怖々と東京の水を飲みながら、テレビからの報道の横で義父に相槌を打ったり、たしなめたりしてくれて、助かったのですが、義叔母さんも年をとったのだなと、感じる事もありました。無理もない、あんたも、年取ったねと、逆に言われています。

 そういう中。今の自分に何ができるのか。より辛いであろうこの地震・津波・放射能禍に被災している人に対しての、さまざまな支援活動を観ながら、自分の無力さに、がっかりするのも、また、現役を離れている人々なのかもしれません。組織を動かす力も、自分の身体を動かす力も薄くなってきているのですけれど、それだけにこころを動かし、動揺した思いを、あれができたはず、これも可能性はあるかと、惑っているのです。
 無理をすれば義母のように強風に吹かれて自ら怪我をします。

0 件のコメント: