2015年2月13日金曜日
見えざる手
一晩水に漬けた大豆は、今年は圧力鍋で蒸して潰しています。5分の蒸し時間、余圧を10分。
充分に柔らかい感じにできます。今日は二回目。
東新宿で仕込んだものと合わせて、2010年の大豆から継いでいる秘蔵の種味噌も足して。
合計9㌔が現在今年の仕込みです。そもそものパルシステムの味噌仕込みから考えて、どんどん新しい試みを足して来て、いつもここで最上ということがなくて、毎年が新しい。
何がこれほど、わくわくするのかといえば、人間以外のものが作用してできていく繋がっていくという不思議さがあります。
人との関係もそうです。多分、当人同士ではない力が作用してあり方が作られている。そうです。明日はバレンタイン。でも、糀の袋の上にはご飯が入った容器。どうやら甘酒か、イースト加えればまた別な発酵文化。
チョコレートもお豆の仲間。いうなれば醗酵食品です。
チョコレートも、お味噌も、その土地土地、人人の在り方を継いでいるはず。それは、人智を超えたものの作用によって。
同じでなくて良い。一つの在り方に統制していくのとは、逆向きのこれからを過ごしていきたい。
おっと、うっかり、お味噌にかまけて宿題が溜まっていました。
2015年2月6日金曜日
凍結注意は
雪は思ったよりは積もらなくて、一年経ったねと連れ合いと二人籠りの家で話していました。
昨年の2月5日も、さっと雪が降って。・・・・。
今朝も路面の凍結注意などを、ニュースでは言ってました。でもね。植物たちは、そこそこにこの冷え込みも凌いで行けるのですね。却って人間から見れば美しい。
雪降りの明けた朝の木々は、葉っぱにとどまらせた水分をそれぞれに装いとしていました。
それ、恕かと。講和ではなく、そういうことばが私たちの思想の中にあるという事。
忘れないというのは、どうすれば赦せられるのかを、問い続ける事。
穏やかだった義母は、いつも私が外に行く用事があると、失敗しないように拝んでいたと言ってました。お墓参り、雪だけど。と連れ合いとの会話。
2015年1月24日土曜日
何と呼ぶのでしょう
まあ、いうなればチラシ寿司、ええバラ寿司とも呼ぶのですか。
先日の法事の前日、東新宿から戻って、長女夫婦にも作ってもらったその時限りのあるもので。
桜でんぶ多目にして、錦糸卵もあった方がいいというので大急ぎで焼いて、海苔も刻んで、年末商品の七宝漬けも半解凍だったのをほぐして、メカブは小皿物にして、野付のイクラと、細切のイカと、柵であった漁福丸のメバチマグロ、こんな切り方でごめんなさい。大葉。
このイクラを箸でつまんでも、それはイクラ。イカ一筋取り出してもそれはイカ。大葉は大葉少量でもあってこその彩。
特定多数の中の個人という事を考えます。まあ、そんな事言っちゃって、難しいことばは文庫番には使いこなせない。でもね。イクラが一粒、自分はチラシ寿司と名乗るよりは、自分はイクラだ!と言った方がかっこいいし、どれほどのイクラがあるチラシ寿司なのかと美味しさが増すじゃないですか。一パックは長女のお持ち帰りになりました。
宮城の有機米でした。飯台は母のものだったのです。
2015年1月9日金曜日
粒粒皆辛苦
母の資料整理をしていて、吟詠の手帳に付箋があったページを開くと
李紳の詠んだものがありました。
農を憫む
鋤禾日當午 汗滴禾下土
誰知盤中飧 粒粒皆辛苦
というのです。資料整理の第三段階は、なおなお海の中に真水を探すような、方法の解らないもの、家を引き払う際に処分してしまったか欠損しているものなど、見当のつかないのですが、こういう付箋が点けられているものを、読み直すと今なお母に教えられている様な気分になります。
千五百年ばかり前の唐の時代にあった農民の在り様に、国は違う、時代も違うのに、先日も、庭の楓を、どうするかとこの家の庭木の作庭をしたという造園業のおじいさんが寄っていきました。その時の話を思い出します。
もう廃業するから、木は私たちにやりたいという事なのですが、家も中古ならば、庭も中古の我が家。今ある木をどうするかも、難しいのでご相談。重機15,000円、それを運ぶトラック15,000円、操作するのに同額くらい。人にかかる費用はそれなりに一日仕事。
もともと、里山の河川敷のところです。庭の盛り土をどこから持ってきたのか、以前は何が植わっていたのか、田んぼはもっと下がった方の土地をこの辺りの農家は買ったのだけれど、今は全然足しにもならない。昔はこの村の畑七畝で田んぼ四反になった。今は畑もやるものもいない。米なんか作る百姓もいなくなっちもう。とコーヒーなど飲みながらの話です。
このうたには、もう一首が並んであります。
春種一粒粟 秋成萬顆子
四海無閒田 農夫猶餓死
今の耕作放棄に、他国からの輸入頼みをさらに選んでしまったら、途絶えたらどうなるかと考えなさい。資料整理も進まないのに、母に言われたような気がします。
李紳の詠んだものがありました。
農を憫む
鋤禾日當午 汗滴禾下土
誰知盤中飧 粒粒皆辛苦
というのです。資料整理の第三段階は、なおなお海の中に真水を探すような、方法の解らないもの、家を引き払う際に処分してしまったか欠損しているものなど、見当のつかないのですが、こういう付箋が点けられているものを、読み直すと今なお母に教えられている様な気分になります。
千五百年ばかり前の唐の時代にあった農民の在り様に、国は違う、時代も違うのに、先日も、庭の楓を、どうするかとこの家の庭木の作庭をしたという造園業のおじいさんが寄っていきました。その時の話を思い出します。
もう廃業するから、木は私たちにやりたいという事なのですが、家も中古ならば、庭も中古の我が家。今ある木をどうするかも、難しいのでご相談。重機15,000円、それを運ぶトラック15,000円、操作するのに同額くらい。人にかかる費用はそれなりに一日仕事。
もともと、里山の河川敷のところです。庭の盛り土をどこから持ってきたのか、以前は何が植わっていたのか、田んぼはもっと下がった方の土地をこの辺りの農家は買ったのだけれど、今は全然足しにもならない。昔はこの村の畑七畝で田んぼ四反になった。今は畑もやるものもいない。米なんか作る百姓もいなくなっちもう。とコーヒーなど飲みながらの話です。
このうたには、もう一首が並んであります。
春種一粒粟 秋成萬顆子
四海無閒田 農夫猶餓死
今の耕作放棄に、他国からの輸入頼みをさらに選んでしまったら、途絶えたらどうなるかと考えなさい。資料整理も進まないのに、母に言われたような気がします。
2015年1月5日月曜日
あっちの方角
元旦過ぎて、これからが一年で一番寒くなります。
小高い八幡様の丘から、小さな古墳を巡って、家のある方角を見渡します。
と言っても耕作放棄の畑と竹藪が遮っているのです。
八幡様には、ここが村だったころに建てられた郷史の石碑がありました。
養蚕業が盛んであった事。田んぼより畑が多かった事。横浜からの生糸輸出の頃は村の産業も盛んであった事。そこから、高度経済成長期の産業構造の変化、農業後継者の減少。縷々書かれています。
午後の散歩に日が差し込んで、豊かな土壌を温めています。
昨年までの里山畑も見えるはず。そしてあくまでも農業ではなく家庭菜園の延長で、今借りられないかと話しているところも見えるはず。
私たちがここですること。 新しい歌。そうなんだ、やっと実感できてきます。
何故、各地の訪問を続けてきたのかも、そして茨城の山も風景の中でこころに落ちてきます。在って、旅して。
2015年1月1日木曜日
2014年12月30日火曜日
お飾りは無し!?
今年も、清沈した感覚で大晦日を迎えます。連れ合いには年番仲間から春には山梨に行くと電話がありました。私は元日の来客予定の若い家族のお迎え準備。年が明ければ喪も明けるのですけれど、追いかけるように年忌明けの法事の準備がやってきます。来年は正月花も鏡餅も供えられるかもしれないです。これは薪伐りのついでの竹林整備のものを並べてあるだけです。手前のは酒器になるかしら。
次のお正月。無事に迎えたいです。もう身体も心も無理はできないと解った年末です。まだこの年齢になって初めての驚きや、悲しみや憤りが、積もって小さな不調があらわになって、そうなれば、気になる診療機関の休日。ご近所のご不幸もあって、この一年を拭い去っての年明けは、身体も心も、すっきりとしたいです。
弱音を吐けば、親たちに恥ずかしい。そう、私が親たちを見てきたところは、あらすじまでは描けました。その後が、一番母を描かなければならないのだと考えています。が、一旦。筆を止め、2014年から2015年への移行を過ごします。
お飾りは必要なのよと、下町の御姐さんに励まされた日々も懐かしい。神輿に鳳が乗らなくっちゃ私たちは担げないは、だったかしら。今は、私がそのことばで励まさなくっちゃ。
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