2015年1月9日金曜日

粒粒皆辛苦

母の資料整理をしていて、吟詠の手帳に付箋があったページを開くと
李紳の詠んだものがありました。

農を憫む

 鋤禾日當午  汗滴禾下土
 誰知盤中飧  粒粒皆辛苦

というのです。資料整理の第三段階は、なおなお海の中に真水を探すような、方法の解らないもの、家を引き払う際に処分してしまったか欠損しているものなど、見当のつかないのですが、こういう付箋が点けられているものを、読み直すと今なお母に教えられている様な気分になります。
 千五百年ばかり前の唐の時代にあった農民の在り様に、国は違う、時代も違うのに、先日も、庭の楓を、どうするかとこの家の庭木の作庭をしたという造園業のおじいさんが寄っていきました。その時の話を思い出します。
もう廃業するから、木は私たちにやりたいという事なのですが、家も中古ならば、庭も中古の我が家。今ある木をどうするかも、難しいのでご相談。重機15,000円、それを運ぶトラック15,000円、操作するのに同額くらい。人にかかる費用はそれなりに一日仕事。
 もともと、里山の河川敷のところです。庭の盛り土をどこから持ってきたのか、以前は何が植わっていたのか、田んぼはもっと下がった方の土地をこの辺りの農家は買ったのだけれど、今は全然足しにもならない。昔はこの村の畑七畝で田んぼ四反になった。今は畑もやるものもいない。米なんか作る百姓もいなくなっちもう。とコーヒーなど飲みながらの話です。

このうたには、もう一首が並んであります。

 春種一粒粟 秋成萬顆子
 四海無閒田 農夫猶餓死

今の耕作放棄に、他国からの輸入頼みをさらに選んでしまったら、途絶えたらどうなるかと考えなさい。資料整理も進まないのに、母に言われたような気がします。


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