2013年10月19日土曜日

雨音の中で

 夜明け前の雨の音に、もう少し寝ていられると布団に顔を埋め、そして考えるのです。庭の葉っぱに着いた青虫は、葉裏に回って、雨を逃れるのだろうかと、キャベツに着いた青虫は深くもぐっているのでしょうか。大豆畑の周縁にある茂みの中ではイノシシが、頭を低くして、息を凝らして台風の行くのをやり過ごすのでしょうか。その獣の思念。
 生き物たちが、雨風、寒暖をしのぐ夜明け前、屋根の下で布団に温もり安穏としながらいる文庫番。その兄は、茂みの中のイノシシと、どう違う生き方ができるのだろうかと。
 未熟な理論、社会への不適応、家族との疎遠、血縁という裏切り。互いに自分の理屈に引き寄せている傲慢。生きるという事。
 そんな事を思いながら、日の短くなった明けるようでなかなか朝を迎えない時間に、自分のだらしなさを思います。
 自他の間。兄と私との間になんの違いがあるのだろう。立ち行かなくなったようだ。何回も無心に来られて困る。そういう連絡が幾つか来ました。文庫番は兄との直接の連絡は途絶えているのにです。何通出しても、着いたのかどうかもはっきりしない葉書。
 
 
 悠々自適に農住憩い。朽ち落ちた小屋に信者もない無心僧。
少人数には食べきれないほどのやりとり。一人の口も糊することのできない埒外。
 幼いころから知っている、兄の世界は、自分だけの理屈で組み立ててあり、それを寺に生まれた、もといマハラバとは社会に抗うことと、身につけてきて。それは、文庫番も相似同根。
 ああ、何を被り雨をしのぐのだろう、何を食して日々をつなぐのだろう。
だからと言って、一切構うな、関わるなという連れ合いと兄のお互い。そしてすでに我が家は年金暮らし。文庫自体もやりきれていないのに。
 2011年の1月に土浦駅頭で逮捕された時から、母には、もうお母さんが私のために責任を感じなくて良いのだから、すでに、文庫番と兄との間のことになっていくのだからと、母の背負っていたものを解いたつもりだったのだけれど、あれから三年近く、大豆畑のイノシシは、閑居山に居たものなのでしょうか。いつまで潜んでいるのでしょう。いつ飛び出してくるのでしょう。・・雨音の中。
 

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