2013年7月25日木曜日

信じるということ



 昨日は神棚式。写真で見るとまさにごちゃごちゃしたまま、宮司さんが脚立で上がって、しめ縄とお札を整えてくれたままです。台所との間の仕切りを外したので、机の隣の本棚(もと食器棚)の上に神棚が移って、そこにこの地の神様をお迎えしました。まるでマハラバ文庫の神棚みたいだね商売繁盛するかなと連れ合いはいいますが、この家にお迎えするという式です。祝詞の中には、わけてもくるまのうんてんのやすらけく。。。。
 山神社さまの大山津見命。その式をするという一種厳かな、緊張した朝でしたが、、、瓦屋根の漆喰が落ちた補修なのか、屋根の直しになるのか屋根の職人さんたちが、まずは様子見と来たのともかちあってしまいます。見ればあちこち直さなければと言います。入母屋の屋根なので重くって補修が必要だと言います。おまけに蜂の巣があちこち。
 蜂の巣は庭の前の河川敷に向かった崖にも幾つか。蟻退治蜂退治もしなければなりません。殺虫剤を使って駆除になります。少し心外ですが、仕方ない。
 縁側も抜けそうなところを張り替えます。落ち着いたら手を入れようという部分が、漆喰が落ちてきたことで、すぐ大工さんの仕事が入ることになって、また慌ただしくなりそうな夏です。雨樋も外れているし。
 家内の安らかであることは、とても大変な事なのですね。うかうかとしてはいられないし、せっかくの事だから、商売も繁盛するのかと願わなければなりません。父の描いた荊冠のイエスの絵と、母の生涯を見ていた無原罪のマリア像をどこかに置かなけりゃとも思っています。さて・・。午前中は神妙な気持ちで過ごしました。
 私が企てた集まりがあり午後から出かけるという時間に、庭の前の河川敷に、家の前の主がおいていった廃車の一部残骸を始末しに、大工さん親子が来ました。それもいきなりです。雨の様子を見ながら、その日に空いた時間で、頼んであったことが進んでいくのです。まずは決まった時間があってというのとは別なのが面白い。同じ時間の流れが、使い方の違いは都市と地方の差なのでしょうか。出かける用意も慌ただしく、また駅まで送ってもらいますが、義母が散歩に出たのを途中で拾い上げ、ドライブを兼ねます。私は都内へ、連れ合いと義母は急いで家に引き返すとすでに、それらは引き上げてあったという事でした。
 夜遅くなっての戻りになって、それでも早朝のカラスとの根競べには自然と目が覚めるので、今朝畑に行こうと出てみると、その崖の上に今年の朝顔が一輪咲いていました。新潟のささかみの直売所にあった、難病の女の子の手術を支援するという趣旨であった朝顔が、墨田のベランダを経て、今の庭にも咲いたのを見て、信じられるものを見つけたような気がします。
 
 
 
 


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