2013年2月8日金曜日

頭が痛くなるほど

 読み込み、読み込み。判別し破いて捨てては、まだ遺して。電子上に取り込める世の中になっているのに、実物で持っていたいという執着。
小学校の時の作文から、となると箱は幾つもになります。でも新しい事務所でも置くスペースは限られているのですから。
 自分の執着の強さにある意味あきれます。幾人もの故人となった人たちの財とは、ただ生き方なのだと知っていても。
友人知己からの消息。母が何かの折節によこした切り抜き。子供たちの成長記録。連れ合いとの結婚以前の、やりとり。
早く、捨てて!。ですって。
 昨秋に一回整理してあったので、筋道は着いてきましたが、今週は月曜からこの作業にかかりっきり。
おかげで、文庫番がたどった水の道も、これから先に続いていることが、自分の中に落ちてきました。そして、活動してきた組合員としての取り組みと、事業の関連。生協の時代史
それはスカイツリー下塾をして、他の人に語ってもらって見えた事。協同は一人じゃないという確認も一部分あります。
これをデーターベースとするか。それとも、物に価値付けするか。マハラバ文庫的には個人と会社という行き来のあったものが、役割を“仕分け”できたかもしれません。
一歩前進。まだ、文庫番一人量の資料なのです。運び込んだ母の雑資料(冤罪関係と平和)父が山寺に置いてあったもの、これも雑資料を引き取れるには、まだまだ体力とスペースを必要とします。
でも、見えた。少しずつやっていけば大丈夫。そうです。

やっと探していた、「揺すりながら」それが出てきたのも、作業の途中。薩摩忠さんが紹介していた詞華抄の一篇でした。

 ガブリエラ・ミストラルの揺すりながら 田村さと子 訳
  たおやかに海は
  いく千の波を揺する
  やさしいその音をききながら
  わたしは抱きあげた吾子を揺する

 夜をさまよいわたる風が
  麦畑を揺する
  やさしいその音をききながら
  わたしは抱きあげた吾子を揺する

父なる神は音もなく
  いく千の巷を揺する
  ひとむらの影にそのお手を感じながら
  わたしは抱きあげた吾子を揺する

初めてこの詩を読んだ時に、取っておかなければと思い、どこかで水をテーマとし、食べるものも大切で、そんな自分にも、母にも重ねていたことば。長く探していた古紙で、やはり巡りあえたことを考えると、むやみには破れないので、ひたすら集めこんでいる文庫番。

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