2012年12月28日金曜日

種綿プロ・・・・

 
 怪しげ。実に怪しげなもの。またこの嫁が・・・・義父に、この茶綿の中の種で、綿が栽培できるかと無理な事を訊くのです。何やらプラットフォームの朝市で、隣のつくばからの出店者から買ったとか言い出したのです。
 そう、今年の春だから、昨年の種が入っているのかしら?わわたでしょうか?
お義父さんは、昔は綿はやらなかったの?お蚕はしていたんでしょう。そう尋ねると、やったよ。と言いました。なんでもやっていたんだね。でも、この中からどうやって種外せるんでしょう。
 そういう機械があったんだよ。へえ、千歯こきみたいの?いや、じゃあ、自転車のペダル回すみたいの?いや、それじゃない、なんていうか。ふうん。
そこまでになった、雲をつかむような綿をつかむような会話は月初めでした。
 山梨には二間続きの和室があります。墨田の家は三畳に板の間とか、変形4畳半とかですので、布団の仕立て直しは、義母はしませんでした。文庫番は、布団仕立てを子供たちに見せたかった。布団皮の上に、縦横に綿を置いてくるっと返す、あの手際よさ、力加減。真綿の敷き方。
学校から帰って新しい布団ができている、ワクワク感。四隅を綴じ付けるのもまた魔法のような家庭の仕事でした。母が富良野の国の子寮で、憧れていた寮長さんは布団仕立ての名人だったとか。語りながらの仕立て作業に心躍ったのです。
住まいで駄目ならと、墨田の消団連のお姉さまたちに、リサイクル活動で女性センターのホールでやりたいと申し出ても、あんな綿埃りになる事嫌だと、取り上げられず。
 あれから幾年月、義父をけしかけて、綿やってみようかなと思ったりしたのです。そういう夢を紡いで、綿を紡いで、これからはくらしを楽しみたいと思っているのです。
 この年の瀬に、義父は管をたくさん繋いで、いのちを紡いでもらっています。
あの、機械はどんなのでしょう。どうやって種を取り出しましょう。答えが語られません。


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