2012年12月13日木曜日

自分のやってきたことに価値があった

 そういう感想が、ありました。すごい事なんですよ。今の社会状況の中で、振り返ってみて一緒にしてきたこと協同の運動に価値があったと言えるのは、ただ面白かった楽しかったを超えたことばを、またもらってしまいました。
 一人ひとり個性的な方たち。こだわっている事はゆずらずに、おかしいでしょうと言える。そこから始まって、他の人はどうなのかを考える力を持っているし、どうすればいいかをしてきている。
 組合員番号の一番若かった文庫番。この人たちは今でも私の前を走っているのです。より良い葬儀の在り方までが、話の範疇になっています。くらしとは、そうですね。
 ただ、安全な食べ物をではないのです。自分たちのくらしを変えていくとは、という事をしてきたのです。
 そして、今、私たちが、自分たちのしてきた事に、価値を見出していくことが一緒につくってきた生産者・製造メーカーにとって、どれほど大切な事なのか。
 語らなければ駄目ね。でも、遠いところじゃないし、偉い人の話じゃない。身の回りの、私たちの体験を語るのが、価値。
 地域・協同・主体。スカイツリー下塾の最終講は、和気藹々。文庫番に何をさせられるのか、最初は解らなかった、これがどうなるのか今でも解らない。それでもやって良かったと思う。
 そういう事だったようです。あとは、マハラバ的お仕事にしなければなりません。
センターでも、他の地域でも。こういう場面では。そう言われました。それも、今回のまとめをどう表現できるかからですね。そして他の地域は、そこでの主体性があるのではと考えますが、事業でしょう?赤字だったんじゃないの?本当に心配までいただいています。
 そうですね。得たものの大きさが嬉しいですから。いつかは回収できるでしょう。

 先週土曜日の夜に、自分で立てなくなった義父、日曜日は堪えていたのですが、月曜日夜についに緊急入院・手術でした。予後経過は良いようです。
 近代医療に対しての疑義は持ち続け、そうではない単に、医者嫌いを通したかったのか、ぎりぎりまで、病院には行かないと言い続けていました。月曜のお昼はいつも通りに食事をして、それでも午後は容態が良くない様子に、連れ合いも義母も、離れずに介助して。大動脈瘤破裂、寸前。それを取り除いて、人工管を繋ぐ手術は火曜日の明け方4時近くまでかかって、子供孫は全員集まりました。文庫番スケジュールは当然、幾つものキャンセル。だから、この最終講は無理と思っていましたが、術後は病院が責任を持って見ている状況です。取りやめにせず。

 まだまだ様子見です。現在、何事にも決定打は出さないで、粛々と進めるべき事。日々の暮らしの流れは進んでいます。状況は常に変化するというのが物事の鉄則ですけれど、2012年の年越しもまた、昨年とはすっかり違うものです。

 それを考えても、自分のやってきた事に価値があった。と言えるのが、どれほど大切なことばだったのか、生きる、ただ生きる価値、くらしの中にあると思うのです。

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