2012年12月23日日曜日

花果山の下



 近々の誰かとの会話で、どうせ個人の暮らしまで衛星でとらえられてしまう時代なのだからと、あったのです。個人の情報なんてどこかで監視されているから、今度の政権でますます不自由になる。なのですけれど、私には、絶対に揺るがない、何物にも侵されない自分を認識できるのです。
 それは、閑居山の頂上の岩坐に乗っていた少女の自分が、天にも地にも一人の存在でいることが解った頃から、今年母が亡くなって、母との対話が自分の中に落ちている。その事もあって、山の上に居たのですが、天にも地にも一人と思う事は自在に宙を飛んでみたら、結局花果山の、岩の下の猿だったように。たいそうな言葉を書きつけてきたらお釈迦様の掌の上。
 だからこそ、自分というちっぽけな存在があって良いと、長く伸びた髪の毛がいつかお猿の尻尾になるかとびくつきながら、もっと自分をさらす、くらしの言葉の強さを思うのです。
 
2012年12月23日のスカイツリー。

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