2012年3月17日土曜日

20年一区切り



 雨水探検隊の2011年度の修了式。でも、今回で一区切りにしたいと世話人代表は考えています。私も含めて実質3・4人でスタッフ兼世話人のまま20年やってくることができた事そのものが凄いのです。お互いにそれは、認め合ってます。それぞれに他に抱えることを持ちながら、地域の子供たちと住んでいる町の事を考えていきたいと、続けてきた雨水探検隊。成人ですね。最後には保護者と子供とに挨拶されてちょっと感激です。
 私自身は、この活動で区内地域と繋がることもできたし、いざという時の相談もあっさりと、親身になってしてくれる関係ができていました。多組織に関わる人達との連携でできる活動を地域で持っているという事は、所属組織があっても、複眼的に考える素地を与えられていたなとも思います。最大時1994年の雨水利用東京国際会議の頃は30代だった!そして、一回の活動で100名を超える子供の引率、スタッフも多数であったけれど、活動内容そのものは、そんなに変えずにしてきていると思います。個人的に残念なのは合宿の時は参加できなかった事くらい。区内の小中学校、保育園・幼稚園にも稲配りをして、雨水と稲とくらしの情報をお届けしていたことは、別な活動で産地に行っても話ができる内容でもあったのです。農家育ちではないくせに、お米の育つ状況に興味津々で、いつも自分のベランダで比較もできて、季節行事もそれに伴って理解してこれたのです。私にとっては、自分の子供を自然に触れさせる機会とは、本当は自分の育った山の中にしか考えられなかったけれども、それが叶わないのであればと、産地を知り、そのミラージュとしてのベランダの田んぼ。山の中の自然との対峙とは違うけれども、できる範囲でしかできないならば、そこに意味を見出しながら、毎年を続けてきたのでした。
 考えれば、区内で大人向けの学習会を開かざるを得なくて、セイコさんやテラさんも参加してくれて、稲の里の大潟村まで植樹に行って、そこから別なツアーもはじまって。
 様々な事をこの20年の間に経てきたなと、世話人代表・探検隊長とも、それぞれがくぐった時間を互いに見ながら、今回を区切りとするのにも悔いはないのです。
 もし悔いがあるとすれば、雨水利用宣言の中で1994年8月6日に宣言した二度と黒い雨は降らせない!という誓いが、この子たちの時代に、今日も雨降り。どこかで、原子力発電所事故の影響を考えなければならなくなった事でしょう。それも、人間が考えて作り出したものなら、人間が科学の力で解決しなければならないと、覚悟をしっかり決め、この子たちとも考えていくのです。
 今日の企画はレイン・スティックづくりと修了証授与。区内産業のメリヤス工場から出る紙芯をもらって、楊枝・虫ピンを挿した中に、穀物粒や貝殻などを、動かして雨の音、流れの音を聞く道具を作るというものです。錐やハサミも使いますし、楊枝を挿すのにも、注意が必要です。パスタ食べて良い?という子もいます。賑やかに、無事に終了でした。レイン・スティックは玩具でもありますけれど、雨の少ない地方では雨乞いにも使った祭具でもあると言います。二度と忌まわしい雨は降らないようにとするものとなります。

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