2012年3月10日土曜日

春まだ遠し

「雪が降っているよ!」と起きぬけの義母の声。受けて「三月十日にもなってね」と応えます。そうだね三月十日だ。雪の一片、一片が落ちてくるのを見ながら義母。私がいままで活動できたのは、義父母の理解と支えがあっての事ですが、何よりも、三月十日をどう義母と過ごすのかが、あってだったのでしょう。下町大空襲で身内を失くした人です。その義母と生協を通じた慰霊碑巡りをして、親兄弟も今は誰も供養しない私の妹の様な娘さんを、皆で拝んでくれている。と。
 食べる事以外の、生協の意味が、協同の意味が、義母との間に通じ合った日でした。
 私は、毎日、毎時、毎分をこの義父母と暮らしていけるのです。戦争体験は、今この人達の事なのです。あと何年、一緒にこの空からの供養を、ともにすることができるでしょうか。
 ともに暮らすことができなくなった時、どれほどの、身体の痛みとしてのことばを、平和を!願い語る事ができるのでしょうか。今日があり明日がある。

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