2011年12月25日日曜日

山仕事讃歌

山仕事讃歌


渓流にはまだ解け残った雪の塊も見えている
流れには、魚が遡ってくるのです
滑らないように、足を取られないように沢も歩き
人も山に入っていく季節です


浅緑の柔らかい葉が芽吹きはじめたのは
高い梢の先にも見えるけど
水を吸い上げる木の皮に日用の具へと
形を変えるこの時期に、皮を剥ぎ

たった僅かな許された日にち、一年の春の木の皮しなやかさ
大きな節理の取り決めで、この季節だけのことだから
滑らない様に踏ん張って

山菜も採って戻るは、夕餉の分、昼の弁当は腰にある
その編み組みの容れ物は、空気を通して涼しげに
カンスゲの香りも残るものなのです
春の山仕事、草を敷いて休む時

南の島茶は二番摘み、果樹の枝は蕾を持っているでしょうか
それとも、来年の実りの約束いただいて一服ついているのかと
木々がしている交信に耳を傾け、こころを飛ばし
各地の山畑の芽吹きの音が、伝わって

野山に生きるものどもは、人の技よりはるかに深く
命脈繋いでいるのです
言葉で表すものじゃなく、畏み敬い学びます

今日の採りものは使える分、力量以上は超えません
自分の技と思いたい、毎日の習練も
山中に生まれ出る、静かな力の尊さを
授けられ残していくのが、仕事です


灼熱というのだろうか
天上から降りて来る暑さだろうか
それとも、窯口の熱さになっている
入口塞ぐにすでに燃え盛り

奥から立てた枝も、最後に入れた枝も
今窯の中で色を変え、堅く身を締め輝いて
闘っているのか、外にまで鬨の声が聞こえ来る
変化する苦悶、大地の水を吸い上げ緑を茂らせた枝

見極めろ、匂いを嗅げ
まなこは赤く、鼻腔の奥につんときて
むせ込む喉もガラついて、一寸の油断
瞬時にして燃え尽きるか、灰にしてはなるものか
窯の番をする、時を見計らう役割も

枝の叫びには、負けじ
山火事の移り火のあの痛さを思い出せ
黄金色に輝いて、空気に触れても崩れない
夕刻過ぎて大気の冷めた頃
ここぞと、掻きだし灰被せ、水をまき

灰といえ、畑に播かれる花が咲く
炭に宿った魂は、また新しく再生し
送りだす先には、働くものの声がする
くらしの中に甦る熱なのだ

野鍛冶もいない今の世に、いかに伝える
身体を労わる、ものづくり山づくり
短い夏は過ぎてゆく
格闘の終わりではない山仕事





マタタビの蔓の刈り取りは
寒くなる前、秋のうちに下ごしらえ
雪の白さを移すには、幅を揃えて束ねおき
秋の収穫と競ってます

漆の実が黒くなり被れる心配なくなって
山のキノコも、出る頃は
一年の稔りを寿ぐお祭りを
山の神様、紅葉を纏って待っている

田畑の仕事が終わったら
家の中での山仕事、リンドウも小菊も壺に飾ります
栗もお芋も蓄えて、蕎麦打つ粉もここにある
子供達も集いなさい、翁も嫗も寄り来たり

山の怒りは無かったか、現し世の悲しみは無かったか
働き怠る日は無かったか
他者への配慮を欠くことは日々のくらしに無かったか
山の神様とくとみて、こころ安らにお帰りを

熟成の頃なのです
実りの喜びは、皆で楽しむため
子孫にも伝えるため
玄籾で残すものは取り分けて
熟成、醗酵、知恵伝え

囲炉裏に炭火を熾します
鉄瓶湯沸かし鍋に替え、まずはお供え致します
それから、少しの酔い心地
唄を歌って下さいな、その声聞けば一年の
辛い仕事の甲斐がある
辛い日々の甲斐がある


山河あり、草木あり、くに土がある
生みだされるいのち、次代をはぐくんできた
山の仕事は、古へよりの営みなのです

牛の列車で来たのです
二人で始める畑起し、ここに村を作ります
夢を語り、夢を追い
その毎日は、過ぎていき

いつの間にかランプの灯りは電気となって
霜にやられた蕎麦の苗、思い出話になりました
助けてくれた親たちに、今の自分が似て来たか
若い者への、語り継ぎ

馬を駆っての伐り出しも
キノコの栽培、乾燥場
地域の皆で取り組んだ乳質改善、品評会
地域の学び舎暖かく、冬の山仕事で思います

いつの時代でも、人の人生苦しくて
山の仕事も苦しくて、見返りなどはごく僅か
子供を育てる時も過ぎ、後悔少しあるけれど
誇りを持って生きてきた

第一に、生きる誇りを語りたい
山の喜び伝えたい
伐り拓き、掘り返しての開拓者
新しいことへ挑むのは、この村に留まってもできるから
先の事を考え、世界を考えて、フロンティアで在りつづけ

人の過ちは、人の手で償えるから
必ず希望を捨てないでこの一冬を超えていく
分かち合う、皆で力を合わせる、伝える言葉は一つです
夢なくして 何の人生ぞ


山仕事讃歌より   増田レア

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