2011年10月28日金曜日

自画像について


 前々から約束していたゴヤ展。「光と影」と題されたプラド美術館所蔵作品展が上野の西洋美術館で開かれていて、経産省前に行かずに秋の半日は、エルミタージュより潔いプラドへの敬意を表しました。
 堀田善衛の「ゴヤ」が連載されていた頃には、難解さを飲み込みながら読んでいく体力があったなと思い出します。受験期も重なっていて幾章か飛ばしているので、この機会に読みなおそうと思い文庫本を買いました。
 出かける前に、鏡をみると、そこに居るのは誰だったのか。自と他というならば、そこに居たのは自分であったのでしょうか。諦め、もしくは嫌悪、または拒否のまなざしを持った写し姿。もう一人の分身が居るのです。およそ、近代的自我について、いつから認識されてきたのかと考えると、日本画では、ほとんど自画像というのは知らないのです。この数年の西洋絵画展では、幾つも画家自身の自画像がかかるのに、日本の画家の自画像ではあまり印象に残るものがないです。
 それは、自というものの在り方が違うのだと、その連載を読んでいた頃から、自分の中で探るべき命題だったのです。
 光と影を、見詰めた画家と説明アナウンスは言いますが、私は鏡の中のもう一人との対話で自分の中に在る光と影。そのパラレルな関係を兄と分け持ったように感じながら、人生を経てきたのです。鏡に映るのは、自分であって自分でないようにも見えてしまったのでした。そもそもが、自というものはあって無いもの、無くて有るものなのだと。まだまだ追求しなければならない課題です。

 そんな事を考えながら、ゴヤ展に入ると最初の展示は自画像についてでした。

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