2011年10月25日火曜日

何もないのに

 あのプレハブが建った頃。一銭のお金も無い、米櫃にもお米の一粒も残っていないコロニーの台所を任されていた母。それでもなんとかなるだろうと寝て、一晩明けたら、町の製菓店から、お餅が残ったからと持ってきてくれて、今日はお雑煮です。と出していると、お地蔵様にお供えしたのを分けてと麓の村の人からお米のお下がりをもらって、大丈夫なんとかなったのよ。と言います。
 信頼の根っこはどこにあるのでしょう。自分の絶対的な信頼を、生かされている。そのことばを私は今こなし切れていないで、呻吟しているのに、母のしてきた経験。この実体験をことばにするという作業。
 富良野の国の子寮でね。と電話の向こうで話します。あの頃外米に麦のぽろぽろのご飯だったのよ。すぐぱらぱらになって。そこに山わさびを子供達が山に行って採って来てくれて、それを擦りおろしてご飯に乗せてお醤油かけて食べて、今週、懐かしくて山わさびの漬物買ったわ。
 私は、幌加内のおそば。お母さん、女学校に幌加内の人達は橇で来て、冬は寄宿して勉強していたって話してくれたでしょう。そう確かね。だから、私も購入してみたけど今は幌加内は国内でも大きな蕎麦の産地だって。
 どうにかして、私は母との会話をまとめようとし始めてすでに三年。沢山の思いと言葉は蓄積してきたのに、肝心なところが、詰めていない。今現在の事。信頼ということの揺るぎなさを、2011年の秋夕。

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