2011年11月3日木曜日

喜び



 我が家の庭。すなわち義父の領分である階下の僅かな地面から、昨日連れ合いはなんと山芋を掘りだしました。東京スカイツリーの下とも言える墨田区なのですが、ムカゴの蔓の本には、やはりちゃんと芋があるのですね。お昼に二八そばでとろろ蕎麦にしたのですが、義父は、山芋は嫌いといい、丼から掬い出します。好き嫌いあるなら、作らなけりゃいいのにと義母と私が言い立てます。もごもご食べていました。
 お米、娘の友人が長野に嫁いで初めての今年。自分でつくって稲刈りしたものを届けてくれました。墨田から、信州の農家の嫁に、若い世代が選んだ道もまた喜びです。これからの希望です。
 そう、母と話ました。信頼と言う事を書いた、「何もないのに」の、話が違うと感じていたけれど、何もないけれど何とかなったと言う事ではなく、「御まかせした」と言う事が書かれていないという感じだと言う事です。生かされていると言う事は、信頼するとは、深い意味での御まかせしていくと言う事なのだと。
 その事は私にも分かるのですけれど、なんだか、貧乏を誇るような、良い子ぶりっ子の様な文章だったのです。未熟である事をあらためて考える日です。なんとか行き詰っている文章ができるでしょうか。秋の喜びの日。

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