2011年11月10日木曜日

暮らしの元に

 例の山芋?。墨田区立花産の町芋?ですが、大きさはなかなかのもの、まだ食べています。アクのあるものとそうでもないものがあるので、あまり人様にも差し上げられず、嫌いだという義父抜きで、食べきるには、もう一攻略が必要です。
 炊いたご飯が、今朝は無かったので思いっ切って、すりおろした芋と小麦粉、キャベツ、カニカマ、葱、卵でお好み焼き風にしてみました。一人お雑煮を食べている義父も混ざった朝の食卓。この芋を掘り上げた、僅かな地面の話になります。ある程度掘れば硬いようです。埋め立てたガラの入ったところ。前はこの辺りも、地面があって、あの家のところなんか池のようなものだった。って、すぐそこです。いや水気の多い、そこにいっぱい土入れて、家を建てた。そこは鞄をつくっていた家だった。あっちは前は鉄を砂にいれてものをつくって・・。???。
 鋳物屋だったようです。メッキ屋もやめちゃって、金属加工もやめてもう、町工場も数えるだけになって、年金暮らしか勤め人の家ばかりの通り。連れ合いの育った頃は、周りは皆将来の社長候補が同級生だったわけです。
 そういえば、母の育った家は、万年筆屋。万年筆の商いだけで、祖父はたくさんの子供を育てたのです。その手伝いを長女であった母が帳面付けなどしていた話。それは太平洋戦争前。
 私たちの暮らしの中に技術があり、商いは子供でも理解できるものだった。
 祖父は神田から仕入れて自転車の行商で、北海道中を回っていたのです。私たちの暮らしの中にあったもの、主権は暮らしにあったはずなのです。いえ、もっと一人一人の自尊の中にあるはずなのです。
それを、失くしたら暮らしも失くしてしまいます。

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