2021年4月22日木曜日

アースディ


 オオアマナの花が開きました。昨年は咲かなかったのですが、今年は4っつの花茎があります。少し株が大きくなっているのでしょう。植えた覚えがないのに庭に出てきたものなのです。ハナニラともよく似ていますが、違う花です。この花の別名もベツレヘムの星という外来種。
 今日は母なる大地を思います。そして生まれ出た子たちの地上に喜びがもたらせられるようにと思います。
 以前は、夢の島でのアースディの日にちが固定していて、石けんの様々なアピールに出て行ったものでした。アメリカ発祥の運動です。この国ではどうなのでしょう。もっと大地に根付いたものがあったはずだけど、その時々のブーム的な言葉に乗っていく人の心は致し方ないのでしょうか。
 私にとって兄が生まれた日なのです。その兄は、生まれ出た事すら喜んでいるかどうかもわかりません。
 

2021年4月17日土曜日

山之神さま



 いよいよ、積年の・・・熊笹を根絶できるでしょうか。なんで、家の傍に笹などを植えるか。梅の木があったから。松梅竹が揃うのが・・・。笹は、竹じゃないし、さんざん閑居山の様子を見てから考えたらと言ってからすでに何年。

 笹の根を掘るのが春の恒例になってしまったけれど、今年こそはすべて取り除きたいのに、蔓延。はびこっているじゃないかと思います。アンダーコントロールなんてとんでもない、こういう自然の力は、人間の手の及ばない力を持っているのです。地下深く、もともと植えてあった、梅の木もドウダンツツジも、あとから植栽した紅白の椿も、根の下に笹が降りていっているのです。言い出したものが管理すべきだと思うのだけれども、なかなかそういう方向には考えないのか、放っておけないので私は実力行使。せっせと掘り出すと、何日かの作業のやっと最後の仕上げくらいのところで、さもさも自分の仕事だったというように鍬をふるってくれました。でも、絶対根絶やしにはできていない。あっちにも、こっちにも新芽がきざしていて、また来年の春は大騒ぎになる予感です。
 熊笹、もちろん大切な植物です。味噌に黴が発生しないように昔の人は笹で覆ってから、重しをしたと聞いています。それをするには、笹の新葉の延びている時期に天地返しがいいのでしょう。今年の味噌仕込みは例年より半月ばかり早かったので、自分たちのメモリアルとして様子を見ます。山梨の豆で作ってみたのですが少しタマリが出ているようです。もちろん黴などはないのですけれど、水分が多いと床が塩で傷むので、早めに天地返しをしなければと、まずは重しを軽くしておきます。そうそう、熊と言えば、また出没したと、先日防災無線でアナウンスされていました。笹薮も気を付けないと。
 今日で越してきてから丸8年。9年目に入ります。この土地の祭神の祭りの日に越してきたのですが、どうやら祭日を曜日に変えた方がいいのかどうかと、アンケートが回覧されました。本義を失っては意味の無いようになってしまうのではと文庫番は残念です。
 

2021年4月8日木曜日

オダマキに


  もう今年の春で9年になります。母が逝ってからの年数を思います。知人たちからの便りが多く来て、ああ、私は何もできていない不肖の娘と思います。
 仕方がない、父の講義テープを起こすことを母も私に委ねたのだろうからと考えます。
オダマキの花の後ろにホウチャクソウ。もっと奥にヒトリシズカ。母の庭からのユキノシタもちょっとよく見るとありました。

2021年4月1日木曜日

新年度で


 

  母の遺した詩吟のテープは思いっきり捨てることにしました。プラスティックの衣装ケースに二つ。これ以外には別に父の講義テープがあり、冤罪裁判支援関連のテープも段ボール二つあります。その中で母が一人暮らしの無聊を慰めていた・・、何かに学びたいという気持ちでいた、父が亡くなった後の時間が採られていると思うと、いつか懐かしみながら自分も聞いてみたかったのですが、やはり、子供がすべて親のことを受け止められるものではないのでしょう。今整理しないとできなくなるのだからと、思いっきりますが、中身はきかないのですけれど、母は、一本ずつに表題を書いておいてくれたので、それを見ながら仕分けると、やはり文庫の資料的なものも出てくるので、一本ずつ点検しています。
 昨年度、やろうとしてできなかったこともありました。そちらの方が多いのですが、父のテープ起こしは、じっくり進んでいます。この後をどうするか、新年度ですものね。

2021年3月28日日曜日

蓬摘み


  ヨモギを摘みました。お彼岸に煮てあった餡子で草大福をこしらえました。

茹でたヨモギを刻んで、擂鉢で擂るのです。だんだん流しの調理台から台所の床におろして、膝頭で押さえながらすりこ木を回すのです。腰も疲れないし、力が安定して腕も楽。
そういえば今の季節に母が作ってくれた酢味噌和えや、木の芽竹の子などは、マハラバ村の食事は、そもそもが寺の庫裏で作ったので床が配膳台でもあったのでした。そこで盛り付けお盆に乗せて、皆の待っている部屋に運んで。そういう事を思い出します。
 台所改善運動の前の釜戸から、流しと台所。そういう流れだったのだと改めて思います。そこには、様々な女性たちが手伝ってくれていて、傍らで、食事を待ちながらの人もいて、時々、母の指示を無視して父が先立って何かを作るにしても目線はみなと同じ位置で。
 何もユニバーサルフリーだとか、段差がどうだとかではなかったのだと今更ながら思いました。
 それは、福島原発事故避難の伊達東の仮設住宅で榮子さんたちと、料理をした時もそうでした。なーにレアさん味噌の擂り方もできないの。はい。かしてみな。そんな会話もついこの間。ようやく私も擂鉢が扱えるようになっての草大福作り。春の芽生えの真っ先に、雑草と化して戦う相手ではなく、柔らかい香りを楽しめるために。

2021年3月11日木曜日

白い花のオオイヌノフグリ



 白っぽいオオイヌノフグリがありました。畑際の数本です。というか畑の畝全部の草を見るほど熟練していません。
 二日にわたって麦の株へ土入れ。これは蕎麦の裏作に作っているところです。石っころだらけの硬い土。そこに咲いていました。そしてのっぷいと言われる柔らかい八ヶ岳の噴火土壌の畑の麦も同じように本日土入れの作業。ひたすら、鶏の餌用、おこぼれを私たちが粉にして楽しむ小麦です。
 その作業が終わったのが午後2時46分。サイレンが鳴ります。
10年前のその日。9年前のその日、8年前。。順に記憶を手繰ります。
 そして純白の野の花。

 

2021年3月4日木曜日

同じ釜の飯



 嫁ぐ私に、その時一緒に暮らしていた女性が持たせてくれた折雛を今年も出してみました。だから、40年以上なのですね。
 彼女も保育士さんだったとか。色々な事情の人たちが身を寄せていた山寺の庫裏。今でも時々電話をかけてきてくれます。もう、その頃の人たちもそれぞれに老いに向かっていて、ポツンポツンと様子がわかると、ほっとする中継点なのかなと思ったりしながら、何ともつかない話をしています。何か書いているのだったら読みたいと伝えると、今いるところの様子を書いたのがあるのと2冊ものノートを送ってきてくれました。
 みな、頑張って生きているんだなぁと思います。
そう、中継点なんて言いすぎてますね。同じ釜の飯という意味を考えます。
共食って、ただ一緒にテーブルに着くようなことじゃなく、その共同体での賄いもわかっていて、お互いにお腹を満たせるというこころ配りのできる間柄になるという事。そういう体験の共有。食べるというのは実に、個人的、自分の世界であるのに、共に居る人と一緒に食べてこそ、伝わる事がある。そういう言葉でしょう。
 そういう身を寄せ合える場を、増やせないかと毎晩思うのです。