2017年4月7日金曜日
時は巡る
女三界に家無し。。母の墓は建っているけれど、どうも、しっくりこないこの地方の石材店はカトリックの墓を知らず、花入れまで備えてしまったので、有難がって、私は時折花を供えに、隣の我が家の墓と同様に扱っているけれど、母の本心は、どこに帰りたいのでしょう。ともあれ、茨城県の森林管理署への、閑居山の極一画の借地は、引き継いでしまったから、兄が居ても居なくても、必要としてもしなくても納付書は、母の命日に合わせたように来ることになっているのです。境内に隣接した土地だったのを知らず、境内の続きとして使って物置が立っているから、それを撤去しない事にはどうしようもないけれど、遠い私にはとりあえずはそのままにしておくしかないものになっています。
諸葛菜、紫花大根、閑居山で母が愛した花は、我が家の庭に咲いています。お墓に供えるのではなく愛でることで、今日を過ごします。
無縁の地平に
2017年4月4日火曜日
道を歩けば
何に当たるのか、電車を降りて歩いた道は、土浦のほんの僅かな区域。
そう、昨年もあった同窓会。いろいろな事情で、二年連続になりやむなく副幹事をしました。昨年末からいろいろとやりとりをして、4月の桜の頃には先生も回復されているはずと考えて日にちを決めました。これがタイトな中に入れ込んだスケジュールでもあって、心がけが良いのか悪いのか、山梨を出た時は雨模様。長距離移動ですけど、いつもとは違う理由でのお出かけに、ちょっと長閑な感じと郷愁とが入り混じります。
ここまで来れば、共に過ごした期間も、事情も許されるところがありました。
ご実家は?潰れてます。そう応えておきます。ひろし君だったかしら、お兄さんは。。うやむやです。道を歩くのに、下ばかり見ている訳にはいきません。自分の歩く道は前をみて進んでいきます。
そう、昨年もあった同窓会。いろいろな事情で、二年連続になりやむなく副幹事をしました。昨年末からいろいろとやりとりをして、4月の桜の頃には先生も回復されているはずと考えて日にちを決めました。これがタイトな中に入れ込んだスケジュールでもあって、心がけが良いのか悪いのか、山梨を出た時は雨模様。長距離移動ですけど、いつもとは違う理由でのお出かけに、ちょっと長閑な感じと郷愁とが入り混じります。
ここまで来れば、共に過ごした期間も、事情も許されるところがありました。
ご実家は?潰れてます。そう応えておきます。ひろし君だったかしら、お兄さんは。。うやむやです。道を歩くのに、下ばかり見ている訳にはいきません。自分の歩く道は前をみて進んでいきます。
2017年3月31日金曜日
胡桃餡で
凍み餅を!充分に水に浸けた凍み餅をフライパンで両面焼いて、粒餡と胡桃餡で。
この三月に、胡桃餡を練って思い出すのは、水沢うどんを食べた味。そして蕗味噌のお焼き。私たちの文化。食べると言う事は、さまざまな加工の智慧、そこに集積されるまでの自然と季節を見つめながら、日々工夫をし、手をまめに動かし私達へと渡してくれた気持ち。
この凍み餅に入っているオオヤマボクチ(ごんぼっ葉)、そして糯米。油で焼いて、お醤油だけでももちろん美味しい。三月の末日に、この春を悲しんでいる友人たちよ、この春を胸をうつように嘆いている、女たちよ。もう二度と春などは来ないと、その人の世の哀しみを抱え込んで、天は恵み、地は芽生えを、与え続けてくれたのだ。それを忘れまいと、食べることを尊びたい。数字に縛られているのではない、いのちへの信頼。
2017年3月27日月曜日
新しい暮らし方・・・
のらんぼ村のクッキーをお土産に戻って、美味しさを噛みしめ山梨県産小麦・ライ麦。
私達には可能性があるだろうか。
第二回里山フォーラムがあると、呼びかけがあり、一人行動の日だったので、四月にも備えした道をひた走り、高根農村環境改善センターまで行けました。
農村移住の先に何をつくりだせるのか。田園回帰から、さてどうするのかというところでしょうか。着実なのらんぼ村の歩みも素晴らしいなと聞いていたのですが、帰り際に、マイクが回って、つい発言。あたらしい暮らし方。もう「一人前」という言い方はやめにしないか。これは、かすみがうら市でお話できたことも踏まえ、いろいろな条件の人が力を互いに寄せ合って生きていけるそういう社会にななれば、もっと生きやすいのにと言う事。その中には、一定の基準で量るのではない人間の(いのちの)評価が有るはずだと言う事。そこまでを、フォーラム終了間際に、いきなりの話で場違いを感じながらだったけれど、話してしまったと、帰り道はみぞれに変わらないうちにと、またした道を一時間余。
2017年3月10日金曜日
刺に守られ
庭の川に面した側にホタルブクロがたくさん増えました。越してきて義母が川から飛び立つ蛍に手を合わせて拝んでいた事を思い出します。ホタルブクロの上に刺を出しているのは山椒なのですけれど、良い画像でないので、ご免なさい。明日はもっと焦点を合わせます。
山椒の芽も、間もなくきりっとした緑で開いてくるでしょう。でもとても柔らかい芽です。その芽の出てくるところを守るように刺があるので、亡くなった義母が編んでくれたセーターがひっかかりました。
こんな鋭い刺が芽を抱きかかえるように両側に腕を拡げているのだと、見入りました。
三月十日。義母の縁続きの母娘が門前仲町の防空壕の中で抱き合うように蒸されて死んでいたというその日です。
語らずとも良かったのかもしれないけれど、本日の短歌の会で戦争の酷さを、歌った一首の説明をその経験者から聞きながら、義母が、その母娘を葬ったけれども、後になって行ってもどこだかわからなくなっていたという事を語っていたのです。歌の会には申し訳ない時間としてしまいました。
あの下町大空襲のすぐ後に、行幸があるので、穢れを置いておけないと町内会で更にしてしまったという事。もしありのままを目にしていたら、その後の本土攻撃は無かったのではないかと。
義母も居なくなり、その頃をどう語ればいいのか。
今、見るべきものを見ないでいるのは誰なのか。
山椒の芽も、間もなくきりっとした緑で開いてくるでしょう。でもとても柔らかい芽です。その芽の出てくるところを守るように刺があるので、亡くなった義母が編んでくれたセーターがひっかかりました。
こんな鋭い刺が芽を抱きかかえるように両側に腕を拡げているのだと、見入りました。
三月十日。義母の縁続きの母娘が門前仲町の防空壕の中で抱き合うように蒸されて死んでいたというその日です。
語らずとも良かったのかもしれないけれど、本日の短歌の会で戦争の酷さを、歌った一首の説明をその経験者から聞きながら、義母が、その母娘を葬ったけれども、後になって行ってもどこだかわからなくなっていたという事を語っていたのです。歌の会には申し訳ない時間としてしまいました。
あの下町大空襲のすぐ後に、行幸があるので、穢れを置いておけないと町内会で更にしてしまったという事。もしありのままを目にしていたら、その後の本土攻撃は無かったのではないかと。
義母も居なくなり、その頃をどう語ればいいのか。
2017年2月22日水曜日
富士川街道を
読めない地名ばかり!百々(どうどう)六科(むじな)下宿(しもじゅく)。
ナビに入れるにも、ああだこうだと読み方を考えて、とと?ふーどバンク山梨さんは以前の事務所を移転して、立派な建物になっていました。ちょっとだけお寄りしました。
あとはゆっくりと、道路標識を見ながら、味噌仕込みもあちこち済んで、我が家分も今年は畑での収穫した大豆で仕込む事ができたし、一区切り。連れ合いが行ってみたいと話していた武田勝頼の新府城跡に行きました。
車を止めて、本丸まで上がっていって韮崎をはじめ甲斐の国を見てみます。勝頼はこの城の完成を見ずに火をはなち、郡内の岩殿城に移ったと言うのですが、城跡は広大。
見下ろす武田領を考えていると、その頃の社会は何によって動いていたのかと思います。
資本主義ではなかったわけです。見えている土地を耕していた人々は、川で魚を獲り、山野で鳥獣を捕らえていた人々は、山城が燃えてご領主が滅亡しても営々と、生きて、世代をつないできていたのでしょう。それぞれの地名の中にも、そこに暮らしてきた人たちの営みが込められているはずです。
資本主義はどう揺らいでいくのでしょう。食べ物を届ける。その傍らで、お賽銭箱には厳重な鎖と錠前。
お金じゃないんだよ。自分に誇りを持って生きるということは。
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