2009年6月13日土曜日

後家のヤモリ?ヤモメ

 文庫番のベランダの田んぼ(今年は夢の谷のほまち田)の横は雨戸になっているのですけど、先日その雨戸をあけるとヤモリがいました。生き物の珍しい東京の下町。瞬間、その気配に吹っ飛ばされそうになるのですけれど、こころを鎮めながら、カメラ付き携帯電話を部屋から取ってきて、写そうとしたら、逃げられました。なかなか、咄嗟には気持ちの準備ができていないのですが、以前、もう一匹がうろちょろしていて、雨水バケツに浮かんでいたのを発見したときには、実に神妙な気分になったのです。でも気を取り直していつか、この連れ合いなり子孫なりが来ればいいなと思っていたら、季節が一廻りしたら、やはり出現したのです。
 先日その話をしたら、後家さん?と言われました。後家のヤモリ。これまた意味深と思いました。
今晩も、小さな田圃の稲の葉先には水玉が吸い上げられ、都会の街灯を中に閉じ込めています。

2009年6月10日水曜日

時の記念日


 同じ時は繰り返さないのだと、考えています。今読んでいる本の中はタイムトラベルですけれど、浦島太郎の話や妖精の国から帰ってきた男など考えると、時を越えるというのは、身体自体の持っている時計は別に進んでいくことを書いているのだろうと思っていました。
 時の不思議はいつまでも、解明されないのかもしれません。そこに、身体性とは別の軸を据えて考える事ができるといいのですが、日々、合理的に考えるなどという「時」には、非常に現実、身体性をもったもので、自分を刻んでいるような気がします。

2009年3月12日木曜日

ジレンマ


ジレンマとは焦りの中にあるのかもしれません。
 書いているのにアップロードできない期間。書いているのに意味はなにのかとも思いたくなったりします。アップロードしているのに、浅慮であると思う時も無いわけではありません。惰性にも自分で感じる文章。
それは、表現を工夫している過程だと考えるようにしてもいます。
やはり、焦っています。
 野に咲く花。これらも、気候の変動に焦っているのかもしれません。

2009年2月21日土曜日

読む

 そういう役割もあると、ル・グウィンのヴォイスでは書かれています。そうなのです。文字のある事があたり前だと思っているのは、近代の誤りですね。
 文字に頼らなかった時代の読み方。そんな事を考えながら、放送大学をつけっぱなしにしていたら、「表象」とは何なのかをテーマにする講座が始まっていました。なかなか見たいと思うものが全部見られるのではありませんが、放送大学は面白いです。特に特別講義であるものは、楽しくわかりやすいものがあります。

2009年2月12日木曜日

相性というものは



 パプリカのお料理いろいろ頂きましたが、このパプリカとズッキーニのワイン煮。もう満腹状況で出て、残念な事にマリネされている、パプリカを残してしまいました。ワインの色、スズキの焼き具合。
そして、微妙な酸味。それなのに、これが和の取り合わせだったらどう作るかをこの一品だけは考えてしまいました。

2009年2月5日木曜日

ボーダーレス


 寄せ鍋の最後にはおじや。玉子とじ。常盤の玄米卵。黄身が白いとおじやにして掻き混ぜると、白身も黄身もまったく同じ色。ボーダレスとはこのことでしょうか。
 真実というのも主観と客観の間で揺れ動く。歴史の真実をあまりにも力を入れて語られると、ふといいのかなと思ったりします。

2009年1月26日月曜日

ー15℃




藪川に行ってきました。昨夜、隣の部屋に余分にあった掛け布団を、持ち込んだのですが、
肩のあたりにしんしんと伝わってきた雪気配。
起きてみたら、窓の外には雪模様。
 前夜は、真上に落ちていきそうな星空を眺めたのです。藪川の冬。
この中に、様々な生き物は生きているのです。芽生えや、菌の繁殖は続いているのです。
ここに、住むというのは、星とも芽生えとも、つぶつぶという菌のささやきにも
こころを開いて、耳を傾ける事なのですね。