2017年7月6日木曜日

とうとう7月6日になって


 

 もうそんなに、月日は経ったのかと、それはそうだとも思いながら、古色蒼然とした昭和初期の写真から、在りし日はついこの前のような、大仏尊教の写真を並べます。
 本日からの山梨開催。亡くなった時には、考えることもよらなかった写真展です。
気持ちだけの入場料は、今回の写真の修復、引き伸ばしを写真専門店にお願いしたことへの費用の足しと思います。
 6月、とても気持ちが乗らなくって、茨城の心配も多く、ブログアップもしなかった。
父に語ろう小林恒吉さんも、そちらに行ったのだと。
 父の言っていたことを、書いたものをまとめ、テープ起こしをしていくのには、まだ自分の力不足を感じて、もうゴールを見なければいけないのに、今回は途中の給水に寄った持久走のような気なのです。
 しかし、写真を幾葉か見ているうちに、何を考えていたのかが伝わってきます。父の思想を、読み取り咀嚼できないと、厖大な知識量の総合された言葉は、軽い意味の牽強付会として扱われていることを、過去に観てきたのです。
 写真を見てその知識、ことばと合わせて行動の意味が、私の理解に落ちて来るのは、また、迷路のような資料の中を、手探りで切り貼りできたからなのです。
 だから、手に着かなかった父の生涯をまとめていくというライフワークの道へ戻らないと、すぐに時は過ぎてしまう。
 写真展を覗きに来たのか蜻蛉。そして玄関の出迎えは、自立した精神のサル。




0 件のコメント: