2017年7月23日日曜日

マハラバの贅沢


 先週のあったかキャッチボールの皆さんからいただいたお花が、この暑い中にも関わらず良くもっていてくれます。すべての蕾が開いて、最終週になる日曜日にも飾る事ができました。三つの花がそれぞれの向きで綺麗です。
 本日は、午前中の一番に以前閑居山に居た人もご来客。そして、あれよあれよと出入りが続きましたが、その対応があり、甲府駅までマハラバ文庫の目印を持って連れ合いに迎えに、出てもらいました。
 島根から飛行機でわざわざこの写真展に来られたのは、今年の三月に「障害者自立思想の一源流ー『青い芝の会』の宗教思想をめぐって」の論文を発表された、山崎さん。そしてもうお一人が「マハラバの息吹ーもう一つの1960年代」を書かれた藤井さん。
 この二人と、閑居山に暫くいた人と三人が、それぞれを補い合うお話をされているのを耳にしながら、はじめて写真展の記事から見に来られたと言う土地のご婦人のお話の受け答えをしたり。
 それなりに慌ただしい日になりましたが、この写真展企画を通じて、あらためて「生きる場を与えられた」という言葉の理解ができたことの説明をします。
 それは山の中にあった共同生活の場のみをさすのではなく、父が青い芝の会の学習旅行で行った各地の意味を読み取ると、そこで訪れている社寺仏閣を観光なり参拝として、脳性麻痺の彼らと行っていたのでは無いと言う事。父の書いたものと、その思想の体系と照らし合わせて、その学習旅行の行程の中の訪問先の由緒、由来にある歴史、地域社会の信仰の中で人間社会の内なるものとして、障害を持つもの、またはその顕われとしての神格などが位置づけられているのであるかを、解いていたのです。現場教育という言葉もありますが、まさに目に見えるもので、その地域を学び、人の社会、歴史の中で息づいている在り様が、語られたことで、ともすれば、技能工芸を中心とした特別支援(今風)教育だけでは、競争社会の中での順位にしかならなかった(今は違うのかもしれませんが)ことに不満足だった、脳性麻痺の人達、障害者の人たちが、人の社会、そして歴史の中で、「生きている場」の実感を学んだのです。
 写真を引き伸ばし展示しキャプションを付ける作業をしながら、私に理解できたこと。それは、マハラバの意味であり、読み取る事の出来た贅沢でもあります。「無縁の地平にー大仏照子の生涯」で書いた誰もが生きていく精神的支柱を求めて・・・という内容が写真展の中でも影照していたのです。
 そういう豊かな深い流れがあったことを、私は今までの累々たる弔いへの供養であると7月26日を前に思うのです。
 本日の来訪の方々にも、いろいろと説明したかったことの第一でした。
 
 

 

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