2017年5月24日水曜日

ここでお会いするとは!


 埼玉大学の前で降りて信号渡って、生協が僕の住いの大家だから、と金子さんから連絡があって、山梨を出るのに二回の用事を一回でできればと、武蔵野線周りで行ってみたら、そこにはこんせん君が歓迎の前肢をあげてポーズしていました。
 埼玉勤労者生協の住宅だったのです。奇遇というべきか、巡り合わせとはこういう事なのかと、私も前肢、、でなく手をあげてその信号を渡りました。
 マハラバ村の事、和尚さんの事を話してほしい。10月に企画をするように仲間と話し合っていく。相模原の事件だって、決まるらしい共謀罪についてだって、僕らは頑張ってきたはずなんだ。。。そうだよね。私は、障害者運動の方向性とか決めてきた事について話しをするものではないと考えているから、閑居山の事や両親の事として話をするように考えるけれど。7月にその頃の写真を引き伸ばして、展示できるようにと考えているところだから、それをそのまま、搬入できるように考えてみる。そのような打ち合わせとヘルパーさんの作ってくれた昼食(美味しかった、でも玉ねぎサラダ残ってしまった)を食べながらよもやま話。そうそう皆自由意思で閑居山に来たんだと言う事を、言わなくっちゃね。大仏さんは、脳性麻痺者のお蔭で思想の実践ができるようになったし、やる事やりぬいて、いい時に死んだんだよね。
 やまゆり園の事件について、もっと深めた話をしたいという、今殺される立場だという自覚。それを、取り戻さないと、共闘はできない。そういうもどかしさが金子さんの中にあることが感じられました。決して歴史ではなく、今を生きる自分たちの問題としてマハラバは有ると言う事を語れるように用意していきましょう。

夕方に、思いがけずいただいた青森のリンゴ。帰宅は別な会議を終え、ほぼシンデレラ。

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