花田春兆さんのカード
石岡駅からのバスで
人の出会いというものを考えます。花田春兆さん「しののめ」を出して、その知性との出会いが、宗教者としての魂のままに光明養護学校に出入りし、その時代の落ち着きどころを探していた文庫番の父、大仏尊教に、その頃の青い芝の会を見出した出会い。
もし、それが無かったならば、、遺影となった春兆さんに、もっと問いたかった。様々な事。並べられた盛花に、見知った名前はあるけれど、告別式の会場にはよっこちゃんも来ていてくれた。会えて良かった。
土曜日は、ちょうど家から茨城に行く用事を予定していたので、間に合うように家を出ることにして、桐ケ谷斎場に寄ってからのつくばの会議。そして、よっこちゃんには、もっと元気でいて欲しい。もうあと誰が残っているだろう。
日曜日の朝、石岡駅から関東鉄道バスに乗ります。この道筋で幾人の脳性麻痺者が閑居山に向かったことだったのでしょう。河村ハイヤーもまだあるのでしょうか。障害者(脳性麻痺者)が外に自由に出て、自分たちの意思で行動をするという事。人として当たり前の事。
日曜日の朝、石岡駅から関東鉄道バスに乗ります。この道筋で幾人の脳性麻痺者が閑居山に向かったことだったのでしょう。河村ハイヤーもまだあるのでしょうか。障害者(脳性麻痺者)が外に自由に出て、自分たちの意思で行動をするという事。人として当たり前の事。
石岡駅の駅舎は、50年前とは大違い。エレベーターも、エスカレーターもあり、駅前ロータリーは広々として、あの頃の常磐線は、煤けていたし、駅の階段を手摺りに斜めに体をもたせるように一段ずつ、上り下りして、皆、ここを通ったのです。駅の匂いというのも独特のものが有ったように思いだすのに、バス停で待っていると、ステップバスが当然のように来て、、当然なのに、その今昔に驚くのです。閑居山に思い思いに集まってきたみんな。晃ちゃん、よっちゃん、小山さん、ウルトラさん、二日市さんも仁木さんも、山の中に居た私は、皆が来たのは知っていたけれど、思えば、どうやって。。。
和尚さんに連れて来て貰った。そう言っていた人も多かったのです。父の単車に乗って、背中にしがみつくように、それは個人個人は自由意思で来るのだけれど、見える形は、「和尚さんに連れてきてもらった」という事になってしまう。
どうすれば、そんな気持ちの中も、写真という画像から、見えるようにできるだろうか。
今回の茨城行も、またヘビーな内容を含んでました。どう表現したらいいか、できうる可能性の中で。
今回の茨城行も、またヘビーな内容を含んでました。どう表現したらいいか、できうる可能性の中で。
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