2014年8月17日日曜日

秋色になって


 義母の新盆も終わり、この地の寺に先祖代々の位牌を納めて、今年のお盆は終わりました。
三年続けての迎え火、送り火。送り火を焚いた庭の草の実は、すでに秋の色になっています。
里山畑は台風11号が近づいたあたりから早朝草刈をしていなかったので、まるで耕作放棄。
嘆かわしい。大豆はまあまあの発芽。予定していた蕎麦の実もあるのに、手が回らないという状況。
 マハラバの年表に手が付けられて、そして母の支援していた冤罪事件の多くの資料の行先がしかるべきところへと決まって、資料棚(元の住人の食器棚)の中も少しゆとりができそうです。
 もう少し、集中してマハラバを語る事ができる検証を進められるでしょう。母が多くの活動をしてきた筋道も読み解かなければなりません。その事が父の思想との整合性をもって世に問うことは、今の状況でも少しも後退させることはできないのだと考えています。だから、しがない土いじりも薪運びも、その実践であり、在り方なのだと自分なりに思うのです。
 味噌の熟成も進んできました。まだ台所刀自とはなれない文庫番。秋の学びもしなければなりません。先祖代々、ひとつの地域で行き来していれば密度は濃くなっています。父母の先祖は自分の身体に受け継いで、あらたしきものになるのでしょうか。秋はまた冬を誘い、新年へと続く日なのです。

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