2014年7月9日水曜日
さまざまな不思議の中に
ホーリバジルも花が開いて、小さな虫が寄ってきて受粉をしていきます。聖なるバジルだそうです。お茶にする予定ですが、やっと今年はその量が採れそうです。札幌から種でいただいて、墨田のベランダで発芽させて、山梨の庭に移して、また種を採って、そして、今年は三ヵ所に分けて植えてみて、やっと満足できる本数になりました。高貴な香りがします。このバジルはお茶にしても身体の浄めになるようです。
夏草が刈られている下の川原には、このところ姿を見せていなかった鴨夫婦がまた来ています。雛は孵さなかったようです。
さまざまな出会いがあります。残せるものと消えていくものがあって、時間は静かに過ぎていく。殺生は嫌だと思いながら、大豆を育てるにはイノシシ退治をしなければならないと、連れ合いは狩猟をする人になります。思いもよらない事です。立ち寄った書店にあった現代農業を買えば、自然に読んでいます。会社勤めの頃であれば薦めても内容が興味を惹かなかったのかもしれないです。まったく、こういうところでこういう人生を迎える事になるなんて。。
そして、二人になってしまったくらしに、僅かな作物を得たいと食べられる分だけを作っていても、日々がワンダーランド。上手く育てばと願うものは、難しいし。うちでもできた!と言うものは有難い事にご近所からも、押し寄せてくるのです。その中で、保存食の知恵もちょっと足して。
種採りできるものは、また来年に向けてみましょう。このバジルも、あれも、これも、考えると種から分けてもらったものです。もし、種の不思議を考える数年がなかったら、味噌だって種で繋ごうなどとは思わなかったでしょう。
里山畑のほうれん草からはイガイガの種を採る事ができました。ほうれん草にも雄株と雌株があるなんて種を採ろうと思わなかったら知らない事です。食べ物、どのようにできるか、継承されているのかも解らなかったのです。食べることができた量よりも、虫にやられずに残った種がある事を喜んでいます。でもそれはまた来年も虫たちとの食べ比べをするという事。
豊作でも凶作でも、どのように次代への分けることのできる種として残すことができるのか。人間という種は。。
それ山川草木国土悉皆成仏。その時に在る意義が少しわかってきました。資料整理はまた思想の種をいかに保管し、次代への継承の道を創っていくのかです。
母の資料をもとに富良野とのやりとりもできました。
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