資料づくりが、一段落して、今の状況ではこれが最善ではないかというファイルができました。
それを見計らったのではないでしょうが、きゅうりといんげんを持ってきたおじいちゃんが、県内巡りを誘ってくれました。以前から、あったお誘いですが、同行してくれる山の植物に詳しい方が忙しく、急な日程でした。
きゅうりの塩麹漬けとこれまたもらったトウモロコシを茹でたのを詰めて、おにぎりは誘ったおじいちゃんがコンビニで用意してくれて半日コースで甲斐の国中巡りでした。
ナンジャモンジャの木というのがあるのです。
鶯宿峠から下がったところにあるもので、やはり周りの他の木とは違う雰囲気ありあり。
県指定天然記念物で、牧野富太郎博士が両面檜と名付けたものでした。
葉っぱの両面が表でもあるように、見える。ちょうど資料づくりを終えた私は、従来のマハラバの思想が父の考えによってできていると、多くに語られてはいるのですが、母の思想の系譜もともに響きあっていることが、解るのです。そして二人とも行動によって思想を表してきたので、父の方が表に見えているのは仕方ないとも思います。
マハラバ村の時代、それは強烈な自己をどう表現するかであったのだから、静かな底流としてあったものは、見え辛いのです。
その時代を時間内で語るには、流れを整理して、掘り起こした部分しか話せないので、今やっと実物史料を繰ることができる文庫番は時間をかけてマハラバの底流を辿っていこうと改めて思うのです。
夫婦でともにしてきた事は、どちらかが裏で、どちらかが表ではなく、ともに在ったということなのだと。
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