2014年7月16日水曜日

物語


 マハラバの会計簿。もしかしたら現代の映像で出て来ていたノートでしょうか。誰も利することのない共同体で、生活というものはあったのです。今頃、屋根裏のような部屋での資料整理は写真だけでなく、さまざまな記録を掘り出すことになりました。
 それは他の人から見たら、単なる時代の資料にすぎないのだけれど、私には生々しく、自分の家庭を解放していった事実。
 どう語るのか。歴史の証言としたら、それは、口から出た瞬間に創作になっていく。個人の体験であればあるほどなおさら、主観的になっていくのが歴史。50年前を語るとしたら幼かった私(ちょっと言ってみたい)が、大人の論議から外れて、ただ、その生活の中に居たという事。
 そして、アルバムや会計簿以外の資料がまた、意味を帯びて出てはくるけれど、それを確かに遡って状況を証明していくには私は力不足であることを、まざと思うのです。
 せめて母が生きているうちにもう少し突き合わせて聞く事ができていれば、せめて、事情を覚えていて信頼できる語りをしている人がもっと身近であれば。それでもなお、私は私の物語をしなければならないのです。覚悟。
 この帳簿がマハラバ文庫経理に役立つかなんて考えると、電気も水道もない共同体といっても、ランプの光は?湧水を貯めたタンクやパイプは?でも陽が昇り、雨が降る、それは水光熱費じゃあらわされないし、山の薪で賄ったお風呂。
 祖父の代に拡げた寺の内容は父の代にはすべてを運動のためにと使って、それでも浄財で生きていけると皆に言い、身を持って募っていくという役割だった父母。それは信仰と言う研ぎ澄まされたものとはまた別な世俗のことばを持たなければならなかったのです。
 生活保護獲得の闘い。他人事ではない、お金では換算しないという事は、運動とは信仰とは。屋根裏の古びた資料を読み解きながら、私の鼻づまり(慢性副鼻腔炎ではなかった!)はさらに埃りを嗅いでいるのです。新資料も出てくるので、文庫番なりに整合していくには時間が必要です。

 

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