しかし枝や葉にしがみついて、体をくねらせて移動していく毛虫の目線に上下はどうあるのかと、その生きる必死さに自分の殺生を考えます。そして毛虫を啄んでくれる鳥たちの、目力に感嘆するのです。先日、相席の人から、おかしいね。同じ高さに居るのに、そうやって役割に上下のレッテルを貼ってしまうのって、その発言自体がものすごく上から・・・なのよ。と聞きました。いつも、その言葉で落ち着けられてしまう会議に出ているようです。同じ志のあるはずの人たちの中で、上から目線で言われたなどと言う、つまらない足の引っ張り方。
傲岸さを感じてしまうのは、その人が独りの中で考えているからなのかもしれない、個であるということと独りであることと。上からも下からもないから独善的になっていくのかもしれない。それは否定されるべきことではないし、皆が皆が一致するという方がまたおかしいと思える余地を自分に残しておきたいけれど、しっくりしてない議論が続くと、何も言わない人ばかりになっていく不健全。
朝早くから鳥の啼く。沈黙ではない朝が続いてほしいい。
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