2014年5月12日月曜日

よしなしごと


 論理のすり替えがなぜ起こるのだろうと、畑で石ころをほじり出しながら考えます。早朝の空気は村の中のあちこちに高く伸びているアカシアの梢に着いた花房の甘い香りに満ちています。
一番、物事を考えるのに落ち着く時間です。
 土の中から石が出て、多分世界中石があるのだろうと、土はごく僅かだから、どの農家さんも土づくりと言うのでしょう。石づくりとは聞いた事がないので、最初からあるものだという事でしょう。こういうことがカオスなのでしょうか。
 論理のすり替え、その局面その時点で起こる事は、事実は一つでありながら、観るものによってその観たものの数だけの事実になっていきます。事実を伝えるという、実は思い込み。その軋みに論理をすり替えている!と言い立てる場面もできてくるのが多いようです。
 自他の間に、考えの違いがあると解るのは、人生の揺籃を出た頃からなのでしょう。その時から、自分の思いをどうすれば伝えられるのか、相手の考えを受け入れるとは何なのかを繰り返し学び成長し、社会になじむことができるようになっていくはずです。その最初をしくじってしまった人なのかなぁ。
 そうすると、突き当たる局面ごとに、少し違った解決策を持ち出して、乖離が大きくなっていってしまう。そこに、正しいとか正しくないとかを当てはめる事は難しいのです。他方にとって正しければ、その片方には正しくはない。その間、一方からだけの事実ではないことを見つける事ができないかと、石をほじり出した地面の穴を見ます。
 石といえば、今年の重石は適正だったかどうか、三種類になってしまった熟成中の味噌に、台所から台所をつなぐ、力を思います。肝心なのは父系の論理ではなく母系の論理なのだろうと、酵母の力?
 母の日は思いがけないものばかりがやってきました。
 
 
 

0 件のコメント: