2013年12月7日土曜日

人参・かぼちゃに牛蒡だったのに

昨日の中身で表現できていないと感じ、さらに考えているのです。
生きている甲斐ということばにしながら、食べるものにだけしか関心がいかないのは、つまらないじゃないかと、言ってしまっても、自由と不自由の間。できることは限られているのは解るのです。
しらばっくれているのが、解っていて、そ知らぬふりをこっちもできるほど人間ができていないから腹が立ったり、残念な言葉を発していて情けなくなる。
 自分で落ち込んでしまうところに牛蒡は焦げていきます。一日かかって柔らかく煮ていたのに・・・・。ここでもまた寛容であるというそれが見つからない。
 国会前の様子が伝わってくるとなおさら、鍋の底に(川沿いの葦原の穴ではなく)気持ちを吐き出していて。

0 件のコメント: