先日は、まるまる一日!連れ合いが義母と一緒に車で出かけていました。もとい。連れ出していてくれました。
今、我が家は三人の主婦が居る状況。文庫番は一人なのに、台所に目が届くのは三人もいて、家内だらけです。ここに来て「きなり歳時記2007-2008」と「山仕事讃歌」を買ってくださる人がちらほらでてきて、さらに、もっと散文を書いたらなんて言葉をもらったり。仕事もしたいし、薪割りも面白いし。
文庫番稼業は、フル回転でくたびれが連れ合いに見えてしまったのでしょう。お鍋の蓋を開けるのも一人でいいという時間ができたので、紅玉刻んでアップルクーヘンなど焦がし焼き。一人鍋も楽しんでしまって、書類整理はあまりできないままでした。その前日にプリンターでの作業が、台所つづきの事務所なるスペースでしていると、三すくみでささくれる気持ちが出そうだったのでしょう。出ていたのでしょう。こういう新しいレシピを試したり、端布で何かができる時間が、なぜか生み出すことができないと、家の中も錆びついた感じになるのでしょう。
朝になってお母さんも行こう。と連れ合いが拉致。いきなりの事。
ところで、文庫番ではなく主婦として家に居る人たちの多くの人たちがとても一生懸命な事あらためて、思います。あら、、主夫さんも。
くらしをきちんと成立させるために、朝からの一日を組み立て、そのために様々なものを調達しした上に文化をちょっとプラスして、子供にもお年寄りにも居れば夫にも気配りできる。その毎時、毎秒でどこかすり減ってしまうこともありますね。果敢にそういう自分の姿を見ながら、より良い方向を探して皆発信しているようです。
文庫番は、本来のマハラバ文庫からの発信が、中途なままこの半年が過ぎてしまって、実りもままならない中に、冬籠りの用意になって、ちょっとエネルギー補充が必要な状態だったのですね。
台所に居ても、気が休まらない、いつの間にかお鍋の蓋が開く音が聞こえては、パソコンの前を離れたり、庭で薪を割っていても、集中しているつもりがつまらないことに氣を取られたり。考えればどうでもいい事なのに、テリトリーをつくって囲い込んでしまっていたのでしょう。
そしてそんなに過敏でいるのは、また別な気がかりがあっての自分だと思うのです。どうにもならないことなのかと、少しばかりの書留で送ったとしても、底はなく。そして連れ合いには伝える機会がない。では、見捨てることができるのかと。自分にこれ以上の嘘がつけるのかと。国体の秘密なんてどうでも良い。己の地獄を見極めよと!そこに安穏があると!
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