2012年4月10日火曜日

年年歳歳花相似

麓を通りクラクションを一鳴。
山の中腹は、春の柔らかい新芽と盛りの桜の花で霞がかって見えました。
誰に知らせる車鳴であるのか、誰も確とは知らず、それぞれに想った事でしょう。
座席後ろは柩の置かれている、霊柩車の窓から私も今年の花を見ます。

斎場の庭にある桜は満開でした。
焼かれた匂いの残る骨箱を抱え、一緒の花見です。
骨を拾うまでを、ともにしてくれた人達が、これからは満開の桜を見ると
奥さんの事を想うな。和尚の葬式の大荒れの天気とはまた違う。そんなことを言います。

文庫番は、母とともに今年の花見をします。
常磐高速沿いを、隅田堤を、千鳥ヶ淵を、錦糸公園を

これからは、文庫番なりに、一つ一つを考えるのです。
今までの、対話の中から学び、諭されてきたことは
こなせているとは言えませんが、どこかで、もう自立しなさいと
相談するのではなく、自分の考えで決めるようになっていきなさいと。
育てたられたことを、これからは育てることにしていきなさいと
と潔く母は逝ったのだと思います。

嘆くことではなく、そのように、委ねられた安心を感じるのです。
もう充分に生きてきたと、四月七日、桜の季節、満月の明けた朝
誰を煩わせることなく、見事な散華であったのです。

充分に生きてきた、満足した笑みを浮かべたままの安らかな穏やかな顔でした。

父の時もまた、死に目には会えずとも、納得し覚悟しての対面でした。
母もまた、一人で逝かせてしまったけれど、それが望みだと話していた通りに
願いが通じて天に召されたのだと考えます。

心臓肥大に負担がかかったのだろうと、医師は言いました。自然死。
生きざま、死にざま、まことに素晴らしい母であったのです。


山の麓を通り、そこに父が建てたプレハブの中で、障害を持つ人々とともに
公教要理を母から学んだ事を思い出します。小学生であったでしょうか。
主の祈りの中での 「我らが人にゆるすごとく、我らの罪をゆるしたまえ。」
のことばを思い出します。そうだったのかと、いまさらながらです。
悪人正機そのものです。どれほど、自分の罪を知るということが難しいのか

今になって、少しだけ解るのかもしれないのです。
少しだけです。
だから、母のことばを探しつつ、文庫の整理をしなければならないと文庫番は思います。

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