2011年4月22日金曜日

自立性志向と協同

 まだ、退院三日目の義母、介護用具で来た杖をついては家の中を移動しています。あまり、急に動きすぎるとまた無理が来るのにと、思っているのですけど、言っても無駄であるのは解ってます。
 今までも本人たちの意思が第一。そして私たちも私たちの自由を確保して。しかしながら、良くコミュニケーションがとれていないと、難しい局面も出やすいのです。個々の自由自立がかならずも生活の調和に立っているものではないです。これは、同居世帯の事だけじゃない。
 協同とは不思議に自立がなければ成り立たないものであるのに、何かに依存する在り方で協同に置き換えてしまう場合が出てきます。
 元も子もない、自己責任とは言いきらない、同じ家の中での自立自尊を保障するには、鬼嫁のままでいるのがいいかもしれないです。
 茨城の母と電話で話します。テレビを見ながら怒っているようです。東電が節電の呼びかけをテレビでするなんておかしいというのです。テレビだって電気を使っているからですし、いかにももっともらしく、被災地の復興の後押しやらの放送しながらだと言うのです。ほとんどテレビは見ない私にはそれも解らないですが、時々義父母の見ているニュースを見る時もあるので、今日のニュースでの天皇皇后の避難所訪問などが映っているのを観ました。あの人たちも必死なのだろうと考えるのです。元号では表せない有史以来の災害なのです。この東日本大震災と原発事故は。古書では祀りごとの長とは、首長、祭司とは、天変地異の際に民に代わって首を切られる役割です。なんとか今まで続いた日の本の体制は残したいわけです。最初は皇室典範などという明治からのを、替えて男女別なくすればいいと思ったのですが、この禍は、そのような近年の間違いの糺ではないのだろうと思うのです。
 いいえ、もっと本来の無駄の無い、家すらも建てないで、(洞穴に)暮らし、灯りなどは太陽に任せる暮らしになる事を、今、よりスマートに考える時代なのかもしれないです。そこにエネルギーでも自立と協同の調和がありそうです。
そう今日はアースディ。母にはおめでとうと伝えます。私の兄の誕生した日です。
 

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