2017年4月4日火曜日

道を歩けば

何に当たるのか、電車を降りて歩いた道は、土浦のほんの僅かな区域。
そう、昨年もあった同窓会。いろいろな事情で、二年連続になりやむなく副幹事をしました。昨年末からいろいろとやりとりをして、4月の桜の頃には先生も回復されているはずと考えて日にちを決めました。これがタイトな中に入れ込んだスケジュールでもあって、心がけが良いのか悪いのか、山梨を出た時は雨模様。長距離移動ですけど、いつもとは違う理由でのお出かけに、ちょっと長閑な感じと郷愁とが入り混じります。
 ここまで来れば、共に過ごした期間も、事情も許されるところがありました。
ご実家は?潰れてます。そう応えておきます。ひろし君だったかしら、お兄さんは。。うやむやです。道を歩くのに、下ばかり見ている訳にはいきません。自分の歩く道は前をみて進んでいきます。

2017年3月31日金曜日

胡桃餡で


 凍み餅を!充分に水に浸けた凍み餅をフライパンで両面焼いて、粒餡と胡桃餡で。
この三月に、胡桃餡を練って思い出すのは、水沢うどんを食べた味。そして蕗味噌のお焼き。私たちの文化。食べると言う事は、さまざまな加工の智慧、そこに集積されるまでの自然と季節を見つめながら、日々工夫をし、手をまめに動かし私達へと渡してくれた気持ち。 
 この凍み餅に入っているオオヤマボクチ(ごんぼっ葉)、そして糯米。油で焼いて、お醤油だけでももちろん美味しい。三月の末日に、この春を悲しんでいる友人たちよ、この春を胸をうつように嘆いている、女たちよ。もう二度と春などは来ないと、その人の世の哀しみを抱え込んで、天は恵み、地は芽生えを、与え続けてくれたのだ。それを忘れまいと、食べることを尊びたい。数字に縛られているのではない、いのちへの信頼。
 
 
 

2017年3月27日月曜日

新しい暮らし方・・・


 のらんぼ村のクッキーをお土産に戻って、美味しさを噛みしめ山梨県産小麦・ライ麦。
私達には可能性があるだろうか。
 第二回里山フォーラムがあると、呼びかけがあり、一人行動の日だったので、四月にも備えした道をひた走り、高根農村環境改善センターまで行けました。
 農村移住の先に何をつくりだせるのか。田園回帰から、さてどうするのかというところでしょうか。着実なのらんぼ村の歩みも素晴らしいなと聞いていたのですが、帰り際に、マイクが回って、つい発言。あたらしい暮らし方。もう「一人前」という言い方はやめにしないか。これは、かすみがうら市でお話できたことも踏まえ、いろいろな条件の人が力を互いに寄せ合って生きていけるそういう社会にななれば、もっと生きやすいのにと言う事。その中には、一定の基準で量るのではない人間の(いのちの)評価が有るはずだと言う事。そこまでを、フォーラム終了間際に、いきなりの話で場違いを感じながらだったけれど、話してしまったと、帰り道はみぞれに変わらないうちにと、またした道を一時間余。

2017年3月10日金曜日

刺に守られ


 
 庭の川に面した側にホタルブクロがたくさん増えました。越してきて義母が川から飛び立つ蛍に手を合わせて拝んでいた事を思い出します。ホタルブクロの上に刺を出しているのは山椒なのですけれど、良い画像でないので、ご免なさい。明日はもっと焦点を合わせます。
 山椒の芽も、間もなくきりっとした緑で開いてくるでしょう。でもとても柔らかい芽です。その芽の出てくるところを守るように刺があるので、亡くなった義母が編んでくれたセーターがひっかかりました。
 こんな鋭い刺が芽を抱きかかえるように両側に腕を拡げているのだと、見入りました。
三月十日。義母の縁続きの母娘が門前仲町の防空壕の中で抱き合うように蒸されて死んでいたというその日です。
 語らずとも良かったのかもしれないけれど、本日の短歌の会で戦争の酷さを、歌った一首の説明をその経験者から聞きながら、義母が、その母娘を葬ったけれども、後になって行ってもどこだかわからなくなっていたという事を語っていたのです。歌の会には申し訳ない時間としてしまいました。
 あの下町大空襲のすぐ後に、行幸があるので、穢れを置いておけないと町内会で更にしてしまったという事。もしありのままを目にしていたら、その後の本土攻撃は無かったのではないかと。
義母も居なくなり、その頃をどう語ればいいのか。
今、見るべきものを見ないでいるのは誰なのか。

2017年2月22日水曜日

富士川街道を









 読めない地名ばかり!百々(どうどう)六科(むじな)下宿(しもじゅく)。
ナビに入れるにも、ああだこうだと読み方を考えて、とと?ふーどバンク山梨さんは以前の事務所を移転して、立派な建物になっていました。ちょっとだけお寄りしました。
 あとはゆっくりと、道路標識を見ながら、味噌仕込みもあちこち済んで、我が家分も今年は畑での収穫した大豆で仕込む事ができたし、一区切り。連れ合いが行ってみたいと話していた武田勝頼の新府城跡に行きました。
 車を止めて、本丸まで上がっていって韮崎をはじめ甲斐の国を見てみます。勝頼はこの城の完成を見ずに火をはなち、郡内の岩殿城に移ったと言うのですが、城跡は広大。
見下ろす武田領を考えていると、その頃の社会は何によって動いていたのかと思います。
資本主義ではなかったわけです。見えている土地を耕していた人々は、川で魚を獲り、山野で鳥獣を捕らえていた人々は、山城が燃えてご領主が滅亡しても営々と、生きて、世代をつないできていたのでしょう。それぞれの地名の中にも、そこに暮らしてきた人たちの営みが込められているはずです。
 資本主義はどう揺らいでいくのでしょう。食べ物を届ける。その傍らで、お賽銭箱には厳重な鎖と錠前。
 お金じゃないんだよ。自分に誇りを持って生きるということは。

 
 

2017年2月5日日曜日

白加賀


 
 庭の梅が白加賀という品種かもしれないのですけれど、小さな花なのに実はとても大きく小さめの鶏の卵くらいになります。
 今年も剪定したものを家の中に飾っておいたら、2月5日にほころんでいる様子。
 義母の祥月命日。
三年経って、淋しさが募ります。人生は逆戻りできないのよ。と。


2017年1月17日火曜日

勇気ある事


  2017年の最初のブログアップなのですが、相変わらずの食べ物話題になります。
ずっと、自分のまとまらない文章を抱えて鬱屈していたのですけれど、商品案内の今期最終の表示に慌てて購入した、芹はJAこまちの根っこ付きの芹です。
あまりにも綺麗な長い根っこにも大感激で、ともかく芹鍋と考えたのですが、ついていた生産者カードには涙するほど嬉しい思いでした。(ちょっとこの頃泣きすぎなんですが)
 三関せり出荷組合のカードには、

このたびは、お買い上げいただきましてありがとうございます。
 三関せりは水を張った畑で栽培しています。
  細かい植物片などが付着している場合や根元の隙間に土が挟まっている場合があるため、茎と根の境目の部分を切り落とし、丁寧に水洗いをしてください。
また、大変デリケートな野菜のため、お届けまでに茎が折れてしまう場合があります。
 傷んでいなければ食味上問題ありませんので、そのままご利用下さい。
ご意見、ご感想などございましたら、お手数ですが裏面へご記入の上、ご利用のセンターへご提出ください。


と書かれているのです。
 
 畑で栽培されている生産物に、土や植物片がついている事を、言って欲しかった。そしてお届けまでの間に、と言う事、食べる側自身が判断すべき事。全部が書かれているのです。
 これでこそ、とだまこ鍋もどき(お米じゃなく、じゃが芋餅)にしました。
 芹の根っこが美味しく食べられるのを知ったのは、墨田の雨水探検隊と大潟村の馬場目川上流を綺麗にする会の交流に行った時のだまこ鍋でした。
今の住いの前を流れる川にも芹は生えるのですけれど、採った事はありません。
 思いがけずに、綺麗で長い根っこの芹は、どれほど冷たい水で、産地で洗い流して、ゴミを除いて出荷しているのでしょう。とても勇気ある事だと思います。
そして何を感激しているのかといえば、つい近頃、以前生協の組合員理事をしていた人が忙しい頃充分に構ってやれなかったと詫びるような思いを持ちながら、お嬢さんの立派に成長した姿を嬉しく報告されている様子、別の先輩理事だった人も、活動組合員だった人も、子供を充分に構ってやれたかという思いを言っていたのを聞きました。それは、私の思いでもあったのです。
 組合員(非常勤=女性)理事が、役割りを果たしながら、どこかで子供をないがしろにしているのではないかと後ろめたく思わざるを得ない状況は今も続いているのです。
 ですけれども、このカードは所謂、消費者教育(好きな言葉ではない)以上の協同を語っているのです。
食べる側が、産地を知る。それだけのカードのやりとり。
 何かの、お肉の事件の際にあった、どうせ消費者にはわからない。ではないのです。
賢い消費者(これも、いまでは古びたことばです)を越えて、食べるということが何に繋がるのかを、考えることができる、紙片です。
 こういう事を伝えられるようになったことは、彼女たち、そして私の大きな喜びとなるのです。子供達は、新たな時代へと送り出すことをして来たと誇れるのです。子供達も一緒に、してきたのです。
 それが組合員の活動であったと、確信を持てるなあと、美味しく食べました。とさ。


 そして、22年前を振り返る日。