2016年4月14日木曜日

石けんは、面白い


 水の循環を考えて、石けんを使う生活になったけれど、その裏付けが欲しいと思う頃から、どれほど学習会に参加してきたことでしょう。
 その都度つど、奥川さんは頼もしい講師であり、解らないことが有った時の問い合わせ先であったり、くらしの疑問を化学式で答えてくれました。
 揺るがないものがあって、人物の面白さも懐かしく思いだした一宴が開かれた事に感謝。
パルシステムのこだわり。

2016年4月8日金曜日

花泥棒


 花の名前は母に聞き、そうです。母の命日も過ぎ、昨年の今頃を思い出しています。
母の生涯を綴った原稿が一応終わり、できれば、父の書類をまとめ。。そんな思いもあった昨年。
同じ月のうちに何事も見えないような、春は通り過ぎてしまった昨年。
 昨年蒔いたこの花は、今年増えています。種をひっそり植物から分けて貰い増やしていく。そんな優しい花泥棒の新聞切り抜きを母からもらったのは、どれほど前でしょう。
母の一人暮らしだった家の周りにも咲いて、次女と行った時もあったかしら。いつも帰りは私よりも母の家に長く居て、互いに補い合っていた母と孫娘。そういう関係だった二人とも今は居ないのです。
 母の命日にはお花をお供えしてと、知人から送られてきたお金はお店の切り花を買い、床の間に次女への花に合わせて飾りました。そして母のお骨は、山梨のこの地に収めようと、その墓守にもなっていくことになります。母には、栽培された切り花よりも、ひっそり増えていく野の花が合うのでしょう。
 いろいろな呼び名のあるこの花を、この季節に一人で見ています。なんだか空っぽな文庫番。

2016年4月5日火曜日

キャベツの内外


 キャベツは3㌔はさすがになかったです。規格内です。大きいのに勢いで背中のリュックに入れてしまったので、両手に着替えと財布が入ったカバンを持つスタイルは、あまり麗しくなかったけれど、頭の中ではこのキャベツを剥いて味噌をつけて食べても美味いよ。と言われたリフレインが鳴り響いて帰路になった味噌仕込み。
 参加者とは数えない、仮設住宅を取り巻く大勢の人たちが、いろいろな気持ちを寄せてくれて、差し入れもあって、台所のお米方も来てくれお蒸かしもできました。どのように感謝を伝えましょう。
 そして、次世代への食文化。結返しのお話に感動します。なんと豊かなこころが繋がっていくのでしょう。
「おもてなし」・・・この頃、行政の観光用語になっていますが、ご亭主のおもてなしに対応する「お客振り」は置き去りになっていないでしょうか。主客で一つの場が演出されるというたしなみが互いを構成する食とくらしがあった事をどこかで言いたい。
 支援する、支援されると言うのが一方通行のことではない。置き去りにされてしまった受け手のこころが空しくて。主権者のこころを置き去りにしたことが遠因となっている原子力政策だったのだと思っています。あらためて政策の責任は問い続けなければならないのです。わすれないというのは、どうすれば赦せるのかを問い続けると言う事。自分が主体であるという確認。
 近世代の学びは、暮らしの中のこころを教え育てる力が、そがれているとしたら、たかが味噌かもしれないけれど、微生物が教えてくれることばを聴くようにしたいものです。見事ではないですか「結返し」。

2016年3月27日日曜日

光に彩られ


 たくさんのランタンは台湾の旧正月に行った時のもの、金属のシャンデリアはトルコに行って送ってきたもの。なんて珍しい趣味なのだと思っていたのでした。
こんなものが、たくさん集まって、そしてバイトしていた頃の仲間からもアジアンランプ。
 生まれて来て、一番最初に口にした言葉は夜空を見上げて「ほし きれい」。
万が一のエンディング・ノートには戒名も要らない、密葬で良い。散骨してほしいとあって、すべては叶えられないかもしれない。そんな願いは知らず、菩提寺の住職がつけた戒名には清淳光彩信女。引っ越してきた家で数回会っても言葉は交わしたことはないけれど、自立心が強く精一杯生きたと49日法要でも住職は話されたました。
もしかしたら、敦加もこの名前を喜んでいるのかもしれません。
 しばらく、弔問もあると言うことなので、まだ飾っておきます。
これからも、私たちと一緒に私たちの生きている間は、居るのでしょう。親を亡くすのとは違って、生まれ出た子を先に亡くすのは、生身ではないこれからをともに過ごすと思う復活祭。

 実際の話、さまざまな手続きを済ませながら、現実社会が生きるということがどれほど金銭で量られることなのか気持ちが空しくなりそうです。でも、この光を追い求めた娘が与えてくれたものは、消えることはなく、私や家族のこれからを照らしてくれると願っています。

2016年2月9日火曜日

火を灯し


 本日で、再入院から3か月なのにすでに敦加は、この世になく
先に旅立って、いつかまた私達と会える日が来るのでしょう

 悪性リンパ腫、EBウィルス関連血球貪食症候群、難病にも指定されていない未知の病に
苦しく辛い日々であったはずなのに、彼女は自分より他を気遣って
 遠い往復になる私を夜には、戻る事を承知して
どれほど心細かったのでしょう
 原因不明と言われるたびに、自己の揺らぎに陥っていたのではと思います
繰り返して襲う高熱に、身体は蝕まれ、意識は遊離していくのに
耐えていたのです

 まだ、仕事も覚えたて、これから社会が拡がるのに
遣りたかった夢に近づいてきたところで
30歳の一年は、うすうす病を感じ取って
31歳の祝いは僅か20日の退院でしかなく
こんなに若くて、可能性に満ちているのに
 悔しいと、口惜しがり、涙をこぼしていた枕に
気休めの、治ったらいろいろできるとしか言えなかった

入院は合わせれば9ヶ月
姉娘も家族とも、父親も兄も
どんどん進行していく容態に
ひたすら毎日の予定を変えていき
枕元に、声かけて
それでも運命は引き離してしまった

何処かのころからか、励ますよりも慰める言葉を探して
その酷さに、自分を騙しながら
いつかは治ってほしい
細くなっていく食事にもおののいて
僅かに含ませた水ですら
血の混じった痰となりむせこんで
真夜中の吸引を苦しがる、その娘を慰めて
呼吸を整え、息を伸ばし
子どもを産めない体になったけど、いつか身よりなき子のグラン・マに
文明の交雑する島で、財団でも作って多くの子供と暮らしたい
そんな夢を、語りました


いまわの際、綺麗な息をすっと止めて逝ったのです


その、子をなくした媼の老いさらぼえるぞ哀れなる  
彼女の夢を少しだけ、春の光彩の中、誰かに伝えていきたいと
一緒に旅する約束の南の島へと唱えます

2016年1月13日水曜日

三平汁を


 暮に贈ってもらった新巻鮭は、その塩味だけでの三平汁をつくりました。冷凍してあった大根、芽の出そうなじゃが芋、おすすめの白菜。そして昆布。旨味と野菜の滋養と、ほろっと崩れるまで柔らかくなった粗。
 その、素朴な取り合わせ、コトコト薪ストーブの上で煮込んでおけば、少し帰宅が遅くなっても安心です。酒粕や、味噌の味で食べるところもあるのかもしれませんが、私は母が拵えていた少し石油ストーブの匂いも懐かしい大鍋の味に近づきたいのです。
 新巻鮭はしっかりと塩があったので、夫婦二人の私達には、加減が難しい。塩の足りない文庫番がピリッとしそうなものでした。
 山の中で、何人もの口へ入ったのは、幾らでも増やすことのできる魔法の鍋だったのだとまた思います。アガペーそれは饗食。冬の山道を学校から戻ると、温もりのあった屋根の下。自分でスプーンを持てる者も、その口元へ入れてあげる者も、共に食べていたそういう味を、今の社会でも、誰でもが、満ち足りて眠りに着ける。そういう湯気の魔法が漂っていたように思います。
 なんという贅沢に、私達二人では、このしっかりした塩味を何日で平らげるのでしょう。