2016年4月5日火曜日

キャベツの内外


 キャベツは3㌔はさすがになかったです。規格内です。大きいのに勢いで背中のリュックに入れてしまったので、両手に着替えと財布が入ったカバンを持つスタイルは、あまり麗しくなかったけれど、頭の中ではこのキャベツを剥いて味噌をつけて食べても美味いよ。と言われたリフレインが鳴り響いて帰路になった味噌仕込み。
 参加者とは数えない、仮設住宅を取り巻く大勢の人たちが、いろいろな気持ちを寄せてくれて、差し入れもあって、台所のお米方も来てくれお蒸かしもできました。どのように感謝を伝えましょう。
 そして、次世代への食文化。結返しのお話に感動します。なんと豊かなこころが繋がっていくのでしょう。
「おもてなし」・・・この頃、行政の観光用語になっていますが、ご亭主のおもてなしに対応する「お客振り」は置き去りになっていないでしょうか。主客で一つの場が演出されるというたしなみが互いを構成する食とくらしがあった事をどこかで言いたい。
 支援する、支援されると言うのが一方通行のことではない。置き去りにされてしまった受け手のこころが空しくて。主権者のこころを置き去りにしたことが遠因となっている原子力政策だったのだと思っています。あらためて政策の責任は問い続けなければならないのです。わすれないというのは、どうすれば赦せるのかを問い続けると言う事。自分が主体であるという確認。
 近世代の学びは、暮らしの中のこころを教え育てる力が、そがれているとしたら、たかが味噌かもしれないけれど、微生物が教えてくれることばを聴くようにしたいものです。見事ではないですか「結返し」。

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