2009年7月19日日曜日

土と風


 ベランダの素焼きミニプランターで落花生が次々と花をつけています。微妙なベランダの配置で花の様子、茎の様子が違うので、毎日見ていて飽きません。
でも、先日大水で土砂崩れのあった地方のひとが、幾ら抜いても雑草が出てきて、作物は負けそうです。それだけ雑草は長い年月をかけて、そこの土壌に適応したのでしょう。と送ってきました。多少の気候変動に負けない草もあれば、ほんの僅かな条件でへこたれるものもある中で、人は、そこから糧を得なければならないのです。長い年月との対話のできる、生き方、暮らし方、食べ方があったはずですね。

2009年6月27日土曜日

ここまで育って


今朝はまだ、暑さを感じません。昨日の午後は自転車でお茶の水まで往復したのです。30度を超える中でしたが、水分を摂って、日陰をなるべく走って、二年間書いてきたきなり歳時記をまとめる話を進めようと思っています。だいたいの形を話しました。
 今日はささかみに行きます。この稲たちにも報告できるか、夢の谷を。

2009年6月23日火曜日

卯の花腐たす


 梅雨という気候が、私たちの五感に働き、文化を育んできていることを感じます。万物みな、同じ気候の中で存在している。植物も動物も、微生物はもとより。そうすると文化とは、存在の意思とはなど卯の花から思ったりします。岩手藪川から、宮城大林寺途中の集会所脇に。
マハラバ風土記

2009年6月20日土曜日

木彫の町井波


富山に行って、瑞泉寺の中に入る山門をくぐるとあった木彫の立て看板です。
一泊二日の富山の様子は
マハラバ風土記に。

2009年6月13日土曜日

後家のヤモリ?ヤモメ

 文庫番のベランダの田んぼ(今年は夢の谷のほまち田)の横は雨戸になっているのですけど、先日その雨戸をあけるとヤモリがいました。生き物の珍しい東京の下町。瞬間、その気配に吹っ飛ばされそうになるのですけれど、こころを鎮めながら、カメラ付き携帯電話を部屋から取ってきて、写そうとしたら、逃げられました。なかなか、咄嗟には気持ちの準備ができていないのですが、以前、もう一匹がうろちょろしていて、雨水バケツに浮かんでいたのを発見したときには、実に神妙な気分になったのです。でも気を取り直していつか、この連れ合いなり子孫なりが来ればいいなと思っていたら、季節が一廻りしたら、やはり出現したのです。
 先日その話をしたら、後家さん?と言われました。後家のヤモリ。これまた意味深と思いました。
今晩も、小さな田圃の稲の葉先には水玉が吸い上げられ、都会の街灯を中に閉じ込めています。

2009年6月10日水曜日

時の記念日


 同じ時は繰り返さないのだと、考えています。今読んでいる本の中はタイムトラベルですけれど、浦島太郎の話や妖精の国から帰ってきた男など考えると、時を越えるというのは、身体自体の持っている時計は別に進んでいくことを書いているのだろうと思っていました。
 時の不思議はいつまでも、解明されないのかもしれません。そこに、身体性とは別の軸を据えて考える事ができるといいのですが、日々、合理的に考えるなどという「時」には、非常に現実、身体性をもったもので、自分を刻んでいるような気がします。

2009年3月12日木曜日

ジレンマ


ジレンマとは焦りの中にあるのかもしれません。
 書いているのにアップロードできない期間。書いているのに意味はなにのかとも思いたくなったりします。アップロードしているのに、浅慮であると思う時も無いわけではありません。惰性にも自分で感じる文章。
それは、表現を工夫している過程だと考えるようにしてもいます。
やはり、焦っています。
 野に咲く花。これらも、気候の変動に焦っているのかもしれません。