2020年12月11日金曜日

関わり方を問う 



 文庫番の日常は、主に台所と繋がっている和室の机のパソコンとの範囲で終わるのですけ
ど、野良の時間もある程度必要です。
 今の季節は、畑の腐葉土づくりになるかと、隣集落にある神社の大欅の落ち葉を浚いに行きます。その欅の陰で少しキノコも栽培しています。
 ヒラタケを持ち帰りながら畑の隅に落ち葉を置きます。師走の畑は葉物野菜が中心です。
隣畑の人にタアサイをもらっていたので、ヒラタケのお裾分けをしたら、また頂きました。さらに立派な大根までもらって、ゆず大根の用意をしました。
 うちの畑の人参は、イカ人参の用意です。
 落ち葉とキノコ、そして美味しい野菜へ。わらしべ長者も斯くありか。ほんの会釈程度なのに、なんだかとっても得した気分で、次の朝が待ち遠しくなります。
 村の暮らしの中で、立ち止まります。この村でも、息苦しい思いの人も居ます。そして今も町で、仕事もお金も家も失くした人が、寒い夜を過ごすのです。もしかしたら、兄も仏教界にも、山にも居られないものなのかもしれません。
 先月末は奈良に文庫番家族は出かけました。東大寺の毘盧遮那仏も、薬師寺の薬師如来も観てくることができました。鑑真和上の唐招提寺も、また明日香の地へも。
 権力が、大仏をつくる時、衆生の民は、困窮していて飢えていて救いを求めているのです。権力がつくりだすものは、千何百年残っていたとしても、同時に民の困窮も残ったままなのです。
 村の暮らしの、小さなやりとりで救われるものと思いながら、そこに馴染んで行けない人のこころの裡に灯りをともすには、どのような術があるのかと、思うのです。






 

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