2019年7月1日月曜日

かすみがうらにもお城がありました!





驚きです!エレベーターはもちろん見当たりませんでしたが、私たちはもともと、当てにしていないわけです。
 田んぼの草取りの合間に茨城の歩崎で開かれている「小林恒岳と霞ヶ浦」シンポジウムに行ってきました。それは、一緒に時代を過ごしてきたのだから、敢えて講演を聞かずともというわけでは無かったです。多角的に霞ヶ浦そのものを語ってもらい、その中に画伯の人生と絵画に表されたものを、参加者に説明してもらうと、逆に私などは自分自身の人生にどのように霞ヶ浦があり、小林・硲さんたちとの家族同士の交流があったのかが読み込めたのでした。
 神立の駅からは、天海さんに、里内さんの家に連れて行ってもらい、文字盤トーキングを持参し、運転は阿部さん、介助は野間さんで龍史兄ちゃんも参加。4年ぶりだったけれど、みなそれぞれに元気で会うことができました。滋賀県の琵琶湖畔生まれの里内さんがどう霞ヶ浦の歴史を聴いたのか、また後日聞いてみたいですが、「マハラバ村建設から骨格提言まで」という茨城青い芝の資料をもらいました。
 歴史博物館内では履物を替えてとなるのですが、車いすって履物じゃないし、など考えていたら、受付のところでスロープが用意されていました。雨で濡れていた車いすのタイヤもタオルで拭いてもらって介助者はスリッパになって(押しにくくないか?)フロアーに入りました。どこかの国の首相に教えておかないと。
 今回、お便りが着て、行く気になったのは、歩崎での展示・企画講演だったということで、折本さんと父が出会い、そこから「青い芝の会」が展開していったところだったということが大きな要因でした。小さいころには周辺の者として、混ざっていた私だけれど、今、記録をしていくのに、その空気に触れ、土地に立つという生身での振り返りをしなければと思っていたところに、願ってもいないお誘いだったのです。小林家が高浜にあった頃、同人誌「辺」うちの二階にある母の資料にも入っていたけれど、きちんと読み返す時間がとれていなかったものでした。展示物になっていたので、ページをめくることはできなかったのですが、閑居山と高浜と、行き来した方々のお名前が、企画の随所にあり、自分も励まされ、夏の企画を早くお知らせできればと思います。
 ようやく、龍史さんとの確認が取れたので、一歩前進。

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