あの7月6日は、私は次女を妊娠中で、朝の母からの電話で連れ合いも会社を休んで、土浦にあった国立病院に行ったけれど、すでに父はたった一日の入院で死んでいたのです。
母を病室から出して、自分で、身体に繋がっていたチューブのすべてを外して。
さて、母が遺したノートの中にあった念佛義抄文 大仏晃阿弥陀とあるあとがきは念仏のし方。小さい冊子記名からは本当に父の若かったころの文章だと思えるものです。写しを作って兄にも送りましたが、兄に送る郵便物は受け取っているのかどうか、私には返事は来ません。先日は郵便屋もご苦労な事と閑居山を知っている人にも言われました。それもまたしょうがないばかり。
父親が、追いつけない存在である時にその息子は苦しい人生を歩むものです。つい最近の事例は私には、親を思っても、その息子を思っても、辛くオーバーラップされます。
それにしても、大仏晃の念仏とは、かくまでありなん。
8月の末にこの内容を読み合わせられるようにしたいと考えています。
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