2019年6月21日金曜日
おおらかにありたい
浜木綿は美しく庭に咲いていますが、棘々のは薊でもなく、これが蕾なのか花になっているのか私には初めてなので判然としません。もう丈は2mにもなりそうです。冷蔵庫の野菜室で根が出てたものを埋めて2年。一年目は葉っぱが思っていたよりも大きいのに驚きましたが、今年はそれに加えて高さに驚いています。花が見てみたいと思っていたのですが、我が家では不評なまま。
ポンポンになったのは、紫玉葱の茎。だいたいが玉葱の茎ってどこ?と昨日のテレビでもありました。知らなかったです。これも2年目です。どうせ食べられないところだからと、これまた冷蔵庫の野菜室で育ってしまった芽を隅っこに埋めておいたら、今年はポンポン。しかしこの先は解りません。
思うのに、植物には冬越しをしないと結実できないもの、一年草ではなく二年草のものが多かったという発見でした。
以前、何かの会議で一年単位の事業計画への助成では期間に余裕がないと、審査する委員長さんが話されていたのを聞いたことがあります。それは農作物には天候で大きく左右される場合もあるというのが大きな理由でしたが、今思うとなぜ、事業年度ということで、生き物の時間を区切らなければならないのか。そもそも暦というのは誰が・・というところは父のテープの聞きかじりですから、脇に置くとしても、生き物が、その中に秘めている力は量る事ができないものだと思うのです。
優生保護法の元に・・・そんな法律に異議を唱えてきた歴史もあります。異議申し立ては認められない社会にしては、より良い方向を示していくことはできないのです。人の歴史は長い間、自然界から学ぶことの方が多かったはずです。変異変則の生み出せる力を持っている自然に対しての畏れを持ち続けたいと思いながら、不思議な花々を眺めています。
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