2016年8月15日月曜日

己の地獄

 さまざまに、今日は、大勢な人が他界との交信をする日なのでしょう。8月15日。
我が家では新盆でもあったのですけれど、その集まりはまた文庫番の母の骨をどうするかという話でもありました。マハラバの母。
 そして、父の別府での受洗の日であったこと。当時何を思いこの日となったのか。今の私には解らないのです。
 やはり、敗戦の日なのよと母が、思案した上で言ったこと、常日頃、父はそういう名付けには、拘らないふうをしていたこと。
 盂蘭盆会。お盆休みには、県立施設から戻って来ていた人たちが、閑居山に連れて来られていた夏休み。その食事代がマハラバの経済を潤していたのも事実。その中に私達兄妹は居た訳です。
 娘が昨秋、病んだままに退院していた時期に、兄は土浦駅での托鉢、小競り合いでの暴力行為で収監。再犯となった経緯などが伝わってきました。病院との行き来の日々が続いていた中に母の生涯を書いた「無縁の地平に」まで出していた私は、知る由も無かったし、伝え聞けば兄からは当然私のところへはもう、知らせるつもりは無かっただろうと言う気持ち。その言い分が通るのかどうか、閻魔様ではない者には判じられないことです。
 飢餓も貧困も、五陰盛苦の地獄のさまも、合わせ鏡で、自分を写します。人生の成り行きでの今と昔。そして、なんの保証もない先の姿を考えます。どうしても、今の貧困問題への取り組みへの参加はできていないのです。社会運動にはならない自分が感じられるのです。身の内の問題であり、それを切り捨てて生きる自分の在り方しか見えない日常の中の事になるのです。
 己の地獄を見極めよと、父の言葉になっている。その己とはなにであったのか。
人の在り方は一面からだけでは語る事ができないから、加害の意味も含めて、侵略戦争をはじめていったことも事実として、敗戦の意味に含めて、と7月のはじめに話したら、7月26日に相模原で起きた事件は、重度障害者には生きている価値がないという、それだけで、施設内の人を殺傷していくという思考。彼は、以前はその施設の職員として働いていたこともあったというのでした。
 一つには、あのマハラバ村から、親たちは施設コロニーを選んで行ったことからも、障害者福祉の、いや、今見えている高齢者福祉のあり方も施設収容型を福祉行政としてきた社会であったこと。社会の中で、地域の中で、そして家族の中で、重度障害者の自立と生存を、閉じ込めている中に雇用の場としての施設が増え続けてきたのが日本社会であったのです。
 市場経済の中での優勝劣敗の序列、行きつく先は富国強兵の劣者排除の思想。しかし不条理は、介護する側にもままならずあるという人間。その解決は自分たちで掴み取るしかないから叫べと。社会に対して自分の存在していることを問えと。その社会とは。外が内であり、内が外である、自分自身に対して叫べという。社会を糾弾する時に、それは己が姿であるのだと。
 障害者とともに暮らすということは、その中で、序列は生みださなかったのか。なぜ、父の傷害事件は起こったのか。
 そういうぐるぐるした思考の中で、選んだ「個]とは何かという文庫番の長い課題。名乗るということでと抗って来た、その苗字ですら、兄は、何の相談もなしに、私のこだわりを飛び越えてその苗字を名乗るものを決めていたというのだけれど、それは兄の事情です。
 合わせ鏡のように、加害と被害は照らし合って、像を結ぼうとしているけれど、僅かな角度で見える姿が全然、別なものになっていく。観えるというのは、あくまでも主観の世界にすぎないのだから。
 相模原の事件の犯人は、その差別の意識は、優生思想というものは、「あちら側」にだけあるのではなく、己が内にあるものだと、震撼するのです。
 私たちはちっぽけな人生の中で、加害も被害も抱え込んで生きているのです。一人で抱え込んでは押し潰されてしまうから、伝え教えられて救われるのです。伝教。
 私は、この慰霊の日である他の世界と交信する日に、この一月あまりの間に、重ね合わさった事柄を振り返り考えます。

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