2012年5月14日月曜日

全村避難ということ

先週土曜日は、東新宿パルシステムのテストキッチン交流ルームでの飯館村 味噌の里親プロジェクトの2011年12月から2012年3月までの活動報告会でした。
 約200名の方が関わってくださって、全体では500㌔、里子の味噌として預かっていますのは120㌔となった「さすのみそ」50㌔。
 どういう経緯で、お味噌の救出に至ったのか、開催した味噌作り講習会各会場での様子、個人で作った方、カンパのお気持ちを寄せてくださった方。この話を聞いた醸造会社の方。
 多くの方が発言してくれて、そして、さすのみそでの味噌汁パーティ。有機白米のおにぎり。(これも味噌で味わって)
 報告会ながら、食べることで和む大切さを感じながら、いつか、福島の子供たちとこの味噌の里子で作ったお味噌汁を飲む企画をしなければと思いました。できる限り早くしたいものです。

   菅野宗夫さんに来ていただいて、飯舘村民の今を、農業委員会の立場、こだわり農産品生産の立場でお話してもらいました。
 今の飯館村民は、全村避難の中で仮設住宅3割、借り上げ住宅7割で暮らしているということ。そのことだけでも息を飲みます。いきなり、日常のくらしからひきはがされて、与えられた住まいの中に入ってくれと言うことなのです。
 文庫番も、この数週間、茨城の荷物を仮置きして、山梨に運ぶというてんやわんやを体験しましたが、それはどこかで納得できる荷物の移動でした。
 “くらし”を移すということ、その先に希望を見いだせないままに。それが、東京電力福島第一原子力発電所事故の結果、村民が負ったものなのです。伊達市の仮設住宅で35歳の男性が亡くなって見つかった話もされました。私たちが1月に訪問したところの中だということです。生き甲斐はどこにあるのか、やはり、農業の道を模索したい。隣県に土地を借りて作る事でも、おじいちゃんの喜びになる。食べるということの大切さ。アルミサッシではない家。風の入ってくる家に住むということ。本来のくらしがあったところ、ロスト・カントリーだと!。
 だから、見知らぬ人達が、食文化を守って繋いでくれるというそれだけでも意味があると、話してくれたと要約します。
 食べる事で応援するというのは、浅はかな表面上の論議ではないはずだと思うのです。くらしそのものが、どれほど食と農に拠ることなのか。再確認できた味噌汁交流会でした。
 さて、最後には、6月3日に行われる味噌の天地返しに、天ぷら油リサイクルバスで行くツアーのご案内でしたが、最低催行人数まで、まだまだです。預けてある先は埼玉県神川町ですから、新宿発で日帰り企画。いかがでしょう。天ぷら油リサイクルバスでいく味噌の里親プロジェクトinヤマキ醸造

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