2021年2月5日金曜日

大雪の年


 義母の亡くなったのは、義父の一周忌が1月に済ませた、その翌月、追うかのように2014年2月5日に亡くなって。家族が駆けつけて葬儀が段度られて、義父の時とはまるで違う山梨に越して、その地での習わしでのものでした。葬儀をした日から雪になって、一旦、雪も解けるかと思った時に2回目の大雪。一晩に120cmというものでした。ただただ移住した土地に慣れるのに必死だったのに、次から次へと状況の変化に、追いまくられるようでした。
 今年は、誰の年忌もなくて1月2月をゆっくりとしていますが、パソコンから離れていた期間もあって、その間に義母が亡くなった年に、片づけなくちゃと一回ほどいてあった着物を、手縫いで別なものに作っています。
 針目を進めながら、気概と品位を保って生きていた親たちの世代を思います。義母は大きな場所に出ることはなかったのですが、私の足りないことを言うといつも人数の一人でと、図書の委員になってくれたり、産直見学のバスに参加してくれたりしたのでした。
 そして、ふらふらと外に出ていく嫁に、いつもあんたが失敗しないようにと出かけると拝んでいるのよ。と話してくれたことが、いつかありました。思い返せばありがたいものでした。
 危うい嫁でしたから、長引く会議もいくつも経験しています。誰のせいだとかは言うものではないでしょうね。会議は参加者全員の責任です。議長として心掛けたのは、全員の発言。それがわかってくると参加する人は議事の中での自分の発言時間と、相手の主張を聴くことができるようになっていったのだろうと振り返ります。それまでには、何回か工夫をして全員参加の意識を高めたものです。その土台はくらしの中での配慮だったのでしょうか。
 気概と品位って、会議の中でも表せます。そして配慮が基本です。
無責任な人を戴く組織委員会って、義母たちから見たらどうなのでしょう。

 

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