2013年1月11日金曜日

冬から春へ

 東日本大震災から1年と10ヶ月なのか。。。この一ヶ月間が、あまりにも緊迫して過ぎてしまったので、わかっていても、その重ね合わせにまた、いろいろな事を考えます。
 義父が倒れたのが昨年の12月10日夕刻。搬送、緊急手術が11日明け方まで。大動脈瘤剥離。
術後一旦は回復基調だったので、一日5分程度の集中治療室の面会でも会話ができていました。
でも、肺に痰が多く、栄養も、経管となっていたのですが、一般病棟に移った日の深夜。痰の誤嚥でしょう。心肺停止となったとの電話。それは暮も日にちのない28日未明。3時過ぎ。そして私たちが自宅から車で乗り付けたときにはまた、集中治療室に戻っていて、蘇生を施したにしても、脳に酸素がいかない数分があったという事で、意識が戻らない。そんな中での年越し、2013年を迎える事となったのでした。現在も、意識は戻っていません。人工呼吸器は気管への直接の管となり、少しずつ、スプーンで流動食だったのは腸への経管栄養。毎日の面会にも応えないまま、日にちは過ぎていきます。もともと、文庫番は静かな年越しをしますと宣言していたのですけれど、家族全員が、一刻一刻、息を詰めるようにして、いつ何の連絡があるかと張りつめたままの大晦日、新年の行事。連れ合いは初めての神社の年番をしなければならない。新しい出発へ向けての思いもあって、この一ヶ月の現実への対処。
 日を追って、生身の義父の魂はよもつひらさかを、彷徨ったまま。こちらに戻るようにとの声に、生体反応とも言い切れない、反応がたまさかあっても、目を開くことはなく、その向こうに何を感じているのか。そして義母、連れ合い、周りの家族。現実の日にちは過ぎていくのです。くらしの刻みは、変化なく、寒い冬だねと言いながら、季節の中、衣食住。日々は過ぎて日足は伸びて、春遠からじ。くらしといのちの刻み。
 一ヶ月が過ぎたところ。退院は私の運転の車でと言っても、通じない今日でした。

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